■ 2007年4月22日(日) ++ 一緒に過ごすということ |
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母の日の作文ということで、小4の息子が学校で書いた作文を見せてもらった。そこに、「お母さんはたまにしか遊んでくれないけど、とってもいいお母さん」という一文があった。 専業主婦になってから、息子が学校から帰ってくるときにはなるべく家にいるようにして、一緒にいる時間も仕事をしていたときに比べれば随分長くなったと思うのだが、息子にとっては、全然遊んでもらっていないと感じていたのだ。 最近は親と遊ぶより、友達と遊ぶほうが楽しいようだし、買い物などに誘ってもあまり付き合わなくなって、そんなものなのかなあと寂しいような気もしていたが、息子は息子で、お母さんはパソコンに向かってばかりで、ほとんど遊んでくれないと思っていたという。 「じゃあ、遊ぼうか!? 何して遊ぶ?」と声をかけると、喜んでバドミントンをすることになった。 働きながら子どもを育てている親たちが、時間ではなく質だと思って子どもに接している姿を、以前テレビで見たけれど、たしかにそうかもしれないと今日は反省した。 いつも一緒に過ごしているからいいというわけではないこと、時間をかけても、質を忘れてはいけないこと、心にとめて、一緒に遊ぶ時間をもっと大事にしようと改めて思う一日だった。
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最近、時間をもてあましているような感じがする。パソコンが壊れてしばらくパソコンのない生活をしていたころからだろうか。でも、こうしてパソコンのある生活が戻ってきても、その感じはまだ続いている。本当に自分がすべきことをしていないような気持ちがあるからなんだと思う。本当に自分がすべきこと、それが何なのか分かっているようで分からないような、どう前へ向かっていけばいいのか分からないような、迷いというか、不安というか、あせりというか、ためらいというか、じれったいというか、自分でもよくわからない。単に怠け者なのかもしれない。 こうして机に向かって考えているだけでは何も進まないと思うのだけれど、人に相談する前にしっかり自分の言葉で説明できるような準備をしたいとも思う。 やりたいと思うこと、やってみようと思うことはいろいろあるのだけれど、足踏みばかりしているような気がする。いやいや、時間も必要なのだと思う自分もいる。時間がかかりすぎだという自分もいる。 相反する私がいて、いや正確には、私の中に何人もの私がいて会話しながらやっているような気もする。 どちらにせよ、充実した時間を過ごしたいと思う私がいることは確かだ。ファイト!私。
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■ 2007年4月5日(木) ++ 久しぶりのパソコン
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パソコンのない生活を結局18日間送った。ときどき、パソコンショップや法務局で拝見するものの、自分自身がネットにつながっていない、パソコンがないということが、こんなにも社会から遠ざかっているような気がするものだということを感じた。 けれど、パソコンの大切さを感じながらも、これまでパソコンに向かっていたかなりの時間をまた違った使い方をしてみようと工夫もしてみた。一つは多肉植物の栽培、それから自分の洋服づくりにもチャレンジした。以前から作ってみたかった好きなデザインのシャツを、型紙づくりから挑戦し、なかなかいい感じに作ることができた。 すべてに意味があるとしたら、パソコンがなくなり、新しいものを購入して家計が苦しくなったこと、新しいことに挑戦すること、それらのことすべてが私の背中を押しているような気がする。 エンジンがかかるのが遅い私ではあるが、じわじわと行こうと思う。
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