■ 2006年12月30日(土)
    ++ 良心がない人   

 

 良心がないという心の障害について書かれた本をいま読んでいる。パーソナリティ障害のことではあるのだが、「良心がない」という切り口は、とても言いえていると思う。
 良心のない人が組織のトップとして君臨している場合、その下で働く人たちはどうなるのか。いがみ合い、分裂し、憎しみ合い、けんかをし、感謝やいたわりという気持ちをどこかに忘れ、まるで地獄絵図のようになってしまう。私はそういう状況を知っている。
 たった一人の影響が、こんなにも多くの人を巻き込み、救いようのない場にしてしまうのだ。その場を変えることは、その人がいる限り不可能だ。どうしようもない無力感と、腐敗した憎しみの感情のようなものが漂う。
 私はその場から離れることができたけれど、夫はまだその中にいることを思うと、なんともいえない思いになる。
 どうにかできないのだろうか。どうにもできないことを、いやというほど思い知らされてきたのだから、いまさらながらそう思うことは、無力感をさらに深める。
 私にできること、それは、夫のためにまたその場に戻ることではないし、夫のために自分が苦しむことでもない。
 良心のない人がいるということを知っている私だからこそ、できることがあると思う。夫婦であっても、同じ人生ではないこと、同じ苦しみを知っていても、同じ道を歩くわけではないことを、今思う。





 ■ 2006年12月12日(火)
    ++ 気持ちを聞いて欲しい気分   

 

 今日で、今年予定されていたすべての人権教室が終わった。人権教室とは、人権について子どもたちに考えてもらうため、人権擁護委員として小中学校へ訪問して行う授業のことだ。
 今日は市内の大きな小学校で、低学年と高学年に分け2時間続けての授業をした。例年は私1人で行うことが多かったのだが、今年は3人のチームで行った。1人で授業をするときは、打合せが必要ないので楽だと思っていたが、3人ですることによって、気が楽になり一緒に何かを成し遂げた充実感も共有でき、よかったなあと思う。
 ただ、今日は朝から気がかりがあった。今朝方、お酒を飲んで帰ってきた夫のことだ。宮古島では、本当に多くお酒を飲む機会がある。学校のPTA、地域、職場、同級生、何かを理由に、男性陣はお酒を飲む。うちの夫もそういう付き合いのいい方の1人だ。
 アルコール依存症予備軍、もしくは、すでに依存症ではないか、と思われる人もいる。
 ふと先日、人権相談に訪れた若妻のことを思い出した。夫の借金癖に悩んでいるとのことだった。借金はいけないと頭では分かっているのにしてしまうのは、ある意味で「アディクション(嗜癖=しへき)」の一つだ。アディクションとは、つまり依存症。
 その女性は、別居するべきかどうか迷っていた。子どもも幼い子どもが3人いて、夫は家のことも子どものこともよく見てくれるので、とても迷っているということだった。
 女性が迷う気持ち、とてもよく分かるなあと思った。でも、相談中、私は「あなたの気持ちよく分かりますよ」とは言わなかった。簡単に「よく分かる」と言われても、それは自分よがりの理解だったりすることもあると思うからだ。「よく分かる」気がしても、せめて「よく分かるような」と言い換えたりする。それから相談中、ほかにも言わないようにしていることがある。それは「じつは自分も」と、自分の悩みを打ち明けることだ。
 「純粋一致」や「自己開示」ということも時には、大事だというけれど、「自分もじつは悩んでいる」ということは違うような気がする。それは体験として感じたことだ。
 以前、仕事のことで悩んでいる女性の話を、ただの知人という立場で聞いたことがあるのだが、そのとき「じつは、自分もね…」というふうに、同じように、私も悩んでいるということを言ったことがある。
 その後、私は原因不明の偏頭痛がしばらく続き、うつ状態にかなり近くなったことがある。自分の弱さを出すことで、同調する相手の闇に引き込まれてしまうこともあるということを、体の反応として体験したのだった。援助をする側は、いろいろなマイナスの「気」とでもいうのだろうか、そうしたものにさらされているのだと思う。
 今日の私は誰かに自分の気持ちを聞いてほしい気分だ。
 人権教室では、「気持ちを大切にしよう!」というテーマで、自分の気持ちを外に出してあげよう、みんなが人の気持ちをきいてあげられる人になろう、ということを話しているが、私も今、それを欲している。





 ■ 2006年12月5日(火)
    ++ 空虚感の源   

 

 なんともいえない空虚感がある。幸せじゃないわけじゃない。以前のように憎しみの感情にさいなまれているわけでもない。でも今の自分は、本当にやるべきことをやっていないような気がする。
 「急がば回れ」ということを、アドバイスされた。たしかに、そうだと思った。臨床心理士になりたいと思ったものの、その道は急いで到達できるものでもないし、結果的に回り道が近道なのかもしれない。すぐに到着できないところへ行こうとしているのか、と思うと、改めて本気かどうか、その覚悟を今自分は問われているのだと、気がついた。
 本当に私はその目的に向かって歩きつづけることができるのだろうか? 不安がよぎる。やっかいな道に頭を突っ込んでしまったものだ、とも思う。
 でも、「心」の問題を無視して生きる道を選んだならば、それこそ、本当に私が歩む道ではないと思う。「人の心」に関わることを仕事にしていきたいと思う。
 なのに、覚悟が決まらない。それが、空虚感の源かもしれない。覚悟といったら、重大な決断のようだ。あまり大上段に構えたら、その重さでつぶされそうだ。
 小さな一歩でいい。前へ踏み出してみよう。春からは、仕事探しだ。

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