健やかに育て 2006年07月29日(土)

   ここ数日、ホームステイの受け入れで小4と小5の男の子を二人預かった。
 私はどちらかと言うと、それほど世話好きでもないし、面倒見のいいほうでもないと思う。加えて特に子ども好きというわけでもないと思う。中学校の先生になりたいと思ったことはあるが、保育園や幼稚園の先生になりたいと思ったことはない。
 けれど、いまは小学校の読み聞かせに行ったり、子どもに関わることを引き受けることが結構ある。
 そうして子どもに出会ってみると、子どもはかわいいなあと心から思うし、健やかに育てよと、心から祈りたくなる。
 先日、図書館で「子どもの人権特設相談所」というのを初めての試みでやった。図書館にやってくる子どもたちが、気になってのぞいたりするものの、なかなか相談や話にやってくる子はいない。
 中をのぞいていた女の子のそばにこちらから行ってみた。
 「どんなこともでもいいんだよ。お話したいことがあったらお話してね。」
 そんな風に声をかけたら、5歳だという女の子二人が、一つ年下の女の子のことで、困っているという。いわゆる友だち同士の三角関係だ。
 大人に言っても、「放っておけ」というだけで、結局なにも変わらず、困っているのだという。
 「どうしたらいいだろうねえ。」
 私も一緒に考え込んだ。
 5歳と4歳でも、大人の人間関係とさほど変わらないんだなあと思うと、子どもだとしても、自分の気持ちを吐き出すことはとても大事なことだと思った。
 自分の気持ちをちゃんと話せること、友達がお互いに辛い思いをしていることが分かったこと、それに気がついてあげられるということは、きっと素敵な人になると思うよということなどを、私からは話した。
 最近買った『心理学辞典』の「自己開示」の項目を読んでいたら、こんなことが書いてあった。→自己開示の中でもとくに内面性の高いものを告白というが、心が傷ついた体験(外傷体験)を告白すると、心身の健康度が向上し、抑制すると健康度は低下するという。
 単に私ができることは、人の話をきくだけかもしれないが、「きくだけ=話すだけ」のことを、否定されたり、無視されることなくできれば、きっとそれだけもいい効果があるのだと、私自身の支えになったような気がした。
 


新しい目標 2006年07月24日(月)

   いま、心理学の勉強をしている。放送大学の大学院を受験しようと思う。臨床心理プログラムを目指しているのだが、知れば知るほど、大変なことにチャレンジしようとしているんだなあと思う。
 何しろ、倍率がすごい。日本一倍率の高い大学院のコースらしい。30倍とも50倍ともいわれている。つまり、50人のうち1人しか合格しないわけだ。
 放送大学の場合は、臨床心理士の受験資格が第2種なので、卒業してもその後1年間の実務経験が必要となる。そのため、実務経験ができる立場でなければ、書類審査で落とされるのではないかという情報もある。
 過去の試験問題を見ても、ほとんど応えられないし、実務経験ができる仕事をしていない私は、かなり不利だろう。
 受験のための出願書類を書くだけでも、もう四苦八苦している。志望理由のほかに、研究題目や研究計画を出さなければならいからだ。研究題目とは、つまり修士論文のテーマになるようなものなのだろう。ということは、心理学の基礎や土台ができていなければ、書けないわけで、心理学を専攻していたわけでもない私は、出願書類を書く段階から、すでに心理学の勉強が始まっている。
 そもそも臨床心理学とは何のなのか?そこからしてよく分かっていないのだから、専門用語の英語訳を覚えるとか、そんなレベル以前の問題だ。
 「カウンセラーです」と胸を張っていえるカウンセラーになりたいと思ったときから、勉強をする覚悟を決め、どうせなら臨床心理士になりたいと思ったのだが、やっぱり簡単なことではない。
 いろんな夢やいろんなやりたいことがあって、これまでそんなハードルの高いものを目指そうなんて、本気で思えなかった。
 いまだって、迷いがないと言ったらうそになる。でもきっと、いまはまた勉強をする時期なのだろう。「努力」という言葉は、受験生や学生が背負うものと思っていたが、死ぬまで「努力」はしなければならないんだと思う。
 あれをやってもダメ、これをやってもダメ、なかなかうまくいかない。そういう壁が、私に今度のことを決意させてくれた。
 切羽詰まるということは、大きなエネルギーになり、背中を押してくれるものだ。これもまた、天が与えてくれたチャンスなんだと思う。
 この機会に、勉強するぞ!
 


頭がいっぱい 2006年07月19日(水)

   いろんなことでいま頭がいっぱいになっている。いろんなことを一つずつ見てみると、一つはホームページをリニューアルしたいこと。一つは放送大学院を受験したいこと。一つは相談業務の就職活動のこと。それらはどれも繋がっていて、そのためにすることも、あれやこれやとたくさんある。頭の中がいっぱいになると、なんだか生き急いでいるような気もする。ホリエモンじゃないんだから、と思う。
 目標を持つのはいいのだけれど、ときどき自分の視点があまりにも先を見すぎていると、結局現実に引き戻される。足元のできることからやるしかないのに、まるで夢物語を見ているような気分になって、そのギャップにまた落ち込んだりする。
 人生の計画はそんな一朝一夕にはいかないものだ。目標が先にあればあるほど、3年、5年、10年というスパンで考えるべきなのだ。
 自分にいろんなことを言い聞かせながら、迷い迷いながらも、欲張りな人生を歩こうとしている。
 夢が叶うかどうか、それを思うと胸が苦しくなったりもするが、こうして夢を追えることはありがたいことだ。
 「自分のしたいことができていいですね。それは、自分のしたいことなんでしょう?」
 きょう、そんな風に人に言われた。
 たしかにそうだ。それが実現するかどうかはわからないけれど、目指すものに向かっていける。そしてそれを応援してくれる人もいる。もうそれだけで、私は幸せ者だということ、忘れてはならないと思った。
 夢は実現するかどうかが大切なのではなくて、その過程が大事なんだということ、いまとても感じている。
 一つ一つの過程を、じっくり歩いていこう。焦る気持ちも、不安な気持ちもあるけれど、それらにも耳を傾けながら歩いていこうと思う。
 すべてに感謝しながら。
 
 


心の教室相談員になりたい 2006年07月05日(水)

   気分というのは不思議なもので、周囲の状況は何にも変わっていないのに、良かったり悪かったりする。
 今日の気分は、トンネルの出口が見えてきたような少し光が見えてきたような感じだ。
 いま、履歴書を書いている。履歴書といっても市販のものに記入するのではなく、自分の経歴の都合のいいものをみんな思い出して、調べなおして、自分を売り込むためのツールとして自分なりのフォーマットで作成するものだ。
 自分のこれまでの人生を大まかに振り返る作業にもなっている。
 書き出してみて改めて思ったことは、私にとって記者の仕事は天職だと思っていた時期もあったし、適職だと思うこともあったけれど、「カウンセラー」への道のりも作ってきていたんだなあということだった。
 「心の教室相談員」というのがあることを、ネットで知った。宮古島ではどうなのか、詳しいことは分からないが、学校関係の相談業務に就きたいと思うようになった。子どもは親の影響を少なからず受けて育つ。親さえ変われば、子どもも変わるとは言うけれど、親だって簡単に変われるものではない。親は親の人生、子どもは子どもの人生を、子どもが自分で選び、親の悪影響のせいで自分の人生を虚しく過ごすことのないように、少しでも役に立ちたいと思う。
 どうしたらいいのかなんて分からない。何ができるのかも分からない。でも、子どもたちに、親や教師という役割ではないただの大人として、心の支援をしてあげたいと思う。子どもが自分の人生を生きるために、本当の意味で一人立ちできるように、バックアップしたいと思う。
 助言や指導をするのではないカウンセリングの精神はいくらかでも、子どもたちの自立に役立つことができるのではないかと思う。
 カウンセリングの勉強は、これまで自分自身のためだったけれど、これからは誰かのためにも生かしていきたい。そう思う。
 


カウンセラーの誕生 2006年07月01日(土)

   先週は、本当に忙しかった。こもれびガーデンの写真の更新すら忘れてしまっている。というか、本当に、あまりパソコンに向かう時間がなかった。
 一番大きなことは、那覇(沖縄本島)にまで行って、人権教室をしてきたことだ。
 人権擁護委員の活動で、毎年数回、子どもたちに「人権」って何だろう?ということを一緒に考えてもらい、人権に対する理解を深めてもらう授業をしている。通常は、地元の宮古島でしかそうした活動はしないのだが、昨年の事例を県の委員会に提出したところ、ぜひ私の授業が見てみたいという声が掛かった。「いいですよ」と、軽く引き受けたものの、日が近づくにつれ、多くの委員が見に来るということで、少しずつプレッシャーになっていた。
 前日から那覇に行き、学校の先生らと打合せをして、法務局の職員らと食事に行った。聞けば、見に来る委員らはほとんどが元教員で、もちろん全員、私よりはるかに年配の方ばかりだという。
 学校の研究授業の発表のようなことを、教師でもない私がやるというわけだ。しかも、クラス単位を私が希望したところ、学校側では不公平がないように、3年生の全クラス(3クラス)にやって欲しいという。3時間続けて、授業をするというのも初めてのことだった。
 職員らとの食事は9時までには切り上げて、ホテルに帰ったのだが、その晩はいくらベッドで横になっても全然眠れなかった。1時、2時、3時、4時、5時、ラジオの時報がずっと耳に入っていた。
 自分の肝っ玉は、こんなにも小さいんだなあと思いながらも、子どもたちに「自分を大切にして欲しい」「自分を大切にできる人は他の人も大切にできる」という授業のシナリオをずっと確認していた。
 私が一方的に話をする授業ではなく、ゲームやクイズをしながら、子どもたちに考えて感じてもらう授業にしたかったので、私が主役ではないのだから、という考えが私を緊張から救ってくれた。
 1時間目、2時間目と授業をこなしながら、失敗もあったものの、だんだんと慣れて行き、委員らが見学に来る3時間目の授業は、子どもたちの態度も素晴らしく、私はシナリオに盛り込んだ以上の言葉を伝えることもできた。
 午後は、参加した委員らと授業についての反省会のような場が持たれた。多くの委員にお褒めの言葉ももらいうれしかったが、正直、学校の研究授業の検討会のような感じもして、これは大変なことを引き受けてしまったものだと、つくづく感じた。
 帰りの飛行機の中では、眠ろうと思いながらもあまりに夏の空の景色が美しかったので、まるで神さまからのご褒美のように思え、ずっと空の景色に見とれていた。
 使命というものがあるならば、その日の仕事は、私にとってまさに一つの使命を果たしたような、そんな気持ちだった。
 那覇での授業を終えて二日経った昨日、県の法務局職員から電話があり、今回は「産業カウンセラーとして」参加してもらったということで、謝礼を支払いたいとのことだった。
 といっても、交通費と宿泊費も込みなので、わずか数千円しか自分の手元には残らない。
 もともと人権擁護委員の仕事はボランティアで、交通費などのわずかな費用が実費弁償金という形で支払われるだけなので、大きな報酬を期待していたわけではないが、今回は最初から県の職員は「謝礼」を出すと言ってくれていたので、心の中にはちょっと期待する気持ちもあった。
 最初においしいものをチラつかせるような行為があったことを思うと腹も立つのだが、「産業カウンセラーとして」と言われたときには、ちょっとドキッとした。
 ここ数日、これまで勉強してきたカウンセリングの知識や技術をもっと生かしたい、自分で「カウンセラーです」と胸を張って名乗れるようなカウンセラーになろうと心に決めたからだった。
 いくら資格を持っていても、「カウンセラーです」なんて名乗れない、それが今までの私だった。自信がなかった。今もまだ名乗るには、経験が足りないと思っている。でも、名乗らなければ、クライエント(相談者)との出会いもないわけだから、ずっと学んでいるだけのペーパー資格になってしまう。
 自分が本気でやるかやらないか、それだけの差なのだ。
 ここのところ、義父の状態があまりよくないことも、私にその決断を促しているような気もする。「何もできない」ことに、私自身もずっとモヤモヤ感があり、抑圧されればされるほど、自分の中で何かがはじけようとしているのを感じていた。
 そのはじけた結果が、自分の中の答えになるはずだと、迷いながら、モヤモヤを感じながら、それが頂点に達するのをずっと待っていた。
 那覇での人権教室、その後の反省会で、私はカウンセリングで学んだことを最大限に生かすことができたような気がしていた。
 さまざまな種類の抑圧を感じた後に、何かがはじけたことは確かのようだった。
 「カウンセラーです」と名乗ること、そのためにすることをいまから始めよう。
 そうそう、でも欲張りなので、童話もマイペースで書くぞ! 印税という名の収入、もらってみたいもんなあ。
 

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