| ■ 大人になりたい?なりたくない? |
2006年03月31日(金) |
| |
今年の春休みは、特別な予定もなく、家でのんびりと過ごしている。毎日のように、今度小学3年生になる息子の友達が遊びに来る。 子どもたちは子どもたち同志で、なにやらいろんな会話をしていて、ときどき私も会話に加わったりする。 1人の子が言った。「あ〜あ、大人になりたくないなあ。」もう1人の子も言う。「オレも大人になりたくない。」 「えーっ、それじゃあ、ポケモンの歌と反対だね。」と私が言う。 テレビの再放送でやっているポケモンでは、♪早く大人になりたいな…♪と子どもが歌っているのだ。 「大人はあんまりよさそうに見えないの?」と私がきくと、「うん」とうなずく子どもたち。 自分の息子にもきいてみると、「うーん、今のままがいいなあ」と、私の気持ちを敏感に察してか、微妙なことをいう。 大人になることに夢を持てない子どもが育っているということに、少なからず大人の責任を感じてしまった。 大人になることが楽しみで、大人になりたいと子どもに思わせるような大人でありたいなあと心から思った。 そのためにも、やっぱり自分の人生を楽しく、満足して生きていきたいなあと思う。 |
|
|
| ■ フリマから学んだこと |
2006年03月20日(月) |
| |
日曜日、コープ(生協)が主催するフリーマーケットに出店した。私にとっては数年前、友だちに誘われて出した時以来2度目、息子にとっては初めての体験だった。 以前から息子が「うちで何かお店をやろうよ!」と言っていたこともあり、フリマがあるときに息子に体験させたいという思いがあった。 一週間前から息子のおもちゃ箱をひっくり返し、押入れの中のものを引っ張り出し、バラバラのおもちゃは小さなビニール袋にきれいに詰めてセットにし、かなり力を入れて準備をしてきた。 私が準備している様子に、息子の友だちも興味を示し、当日手伝うことになった。 数日前の週間天気予報では、日曜日の天気は曇りと雨のマークで、降水確率70%になったり、50%になったり、微妙な天気だった。 「テルテル坊主をつくらなきゃ」という息子と一緒に、前日の晩にはティッシュで即席のテルテル坊主を作った。テルテル坊主をつくるのなんて、一体何年ぶりだろう。それほど、気合が入っていた。 いよいよ当日、なんとか雲が多いながらも、雨マークは解除され、降水確率も40%になった。 平日、学校が始まる時間には息子の友だちも集まり、いざ出発だ。 小学2年生とはいえ、男の子3人の働き手は大いに活躍して、荷物運びから店番までよく頑張ってくれた。 私たちの店は、子どものおもちゃ中心で、子ども連れの客が結構来てくれたほうだと思う。 仕事をしていたときは、フリマにはほとんど興味がなくて、出すのも面倒だと思っていたし、買いに行ったこともほどんとなかった。今にして思えば、変なプライドみたいなものがあったのかもしれない。つまり、お高くとまっていたような気がする。 今の私は、また一つ皮がむけて、より庶民的になってきたということかな(もともと庶民的な方だとは思うんだけど)。 午前9時から正午までの3時間で約7千円の売上げだった。出店料300円で、主催者には4人分の飲み物ももらい、何より、家の片付けができ、子どもにも貴重な体験になり、良かったのだと思う。 午後、家に帰って一人、フリマから学んだことを考えたりしながら、片づけをした。そして、またいつフリマがあっても出店できるように、準備をしながら押入れにしまった。 フリマから学んだこと1、儲けようと思うな。自分が必要ないものを買ってくれる人がいるだけで、ありがたいと思おう。 フリマから学んだこと2、モノに感謝の気持ちを込めよう。まだ使えるモノにありがとうの気持ちを込めてきれいにしてから人に渡そう。 フリマから学んだこと3、フリマにモノを出さなくてもいいような、モノがあふれていないシンプルな生活を心がけよう。 |
|
|
| ■ スケートも人生も |
2006年03月10日(金) |
| |
先日、息子のアトピーのために、漢方薬を専門店で処方してもらうために、沖縄本島へ行ってきた。そのとき、沖縄にもただ一つあるアイススケート場へ行った。 私は確か中学生のときに一度やったきりで、そのときはやたらころんで、おしりはびしょぬれになり、次の日に熱を出してしまった覚えがある。 オリンピックで荒川選手が金メダルをとり、いま沖縄でもスケート場がにぎわっているという記事が新聞に載っていた。 息子にスケートを初体験させるには、いいチャンスではある。けれど、私は一緒に滑れる自信はまったくなかった。 ドキドキとイヤイヤ、少しはワクワクも混じった気持ちで準備を整え、息子とリンクへ。 いざやってみると、片手をリンクの周りの手すりにつかまりながらも、おやおや、スーッと、滑れるではないか。滑っていく足に体を乗せるような気持ちで、恐がらず、任せるように、体重を右足、左足と移動しながら、歩くのではなく、滑る気持ちで…。 なんとなんと、リンクを2周、3周とするうちに、2、30分のうちに、ほとんど手を離してもいちおう滑れるようになった。結局一度も転ぶことはなかった。 運動はあまり得意ではなかったし、まさか、人生2度目のスケートで、こうもうまくいくとは思わなかった。 うーむ、これは年のせいだと思った。スケートも人生に似ているのだ。抗わない、逆らわない、流れに身を任せる。若いときはむきになって、氷と格闘しているような感じだった。けれど、格闘するのではなく、その性質を受け入れ、それに従う気持ちになれば、スケートはこんなに楽しいものなんだと、実感した。 子どもの頃できなかったスケートが、大人になったらできたということに、すごーく、すごく感動した。運動神経をカバーするのが、年の功とは…。生き方も少しは上手になってきたのだろうか。 またやりたいなあ。今度はイナバウワーだ。 |
|
|
| ■ 朝の祈り |
2006年03月09日(木) |
| |
ここのところ、心の中で整理のつかない問題がある。 それは信仰について。 人生、なかなか思うようにいかないし、辛いことも多い。そんなとき、もし自分のことをよく分かってくれて、自分にピッタリだと感じる「教え」をくれる人がいたら、そしてその「教え」によって、問題の一つがうまく解決したとしたら、その人にこれからも「教え」をもらいたいと思うことだろう。それは自然なことだ。それがもし、人智を超えた力で強力であればあるほど、その「教え」に従おうと思うだろう。さらに、その人は他の「教え」ではなく、自分の「教え」にだけ耳を傾けるように伝える。他の「教え」は障害になるのだという。その人は、自分の「教え」に従えば、常に私を守ってくれるという。その人の「教え」を信じることで、心の安らぎと平和を得たように感じる。 そしてあるとき、「教え」をくれる人が、私自身に、もしくは家族に、このままでは悪いことが起きるということをほのめかし、さらなる「教え」を与えたとしたら、その「教え」がどんなにお金や時間のかかることでも、従ったほうがいいように思うことだろう。 なにしろ、その人には人智を超えた力があり、これまでの苦難も、その人のおかげで助かってきたのだから。 なにかの宗教のはじまりは、そのようなことが多いのではないだろうか。 宗教や信仰を持つことを決して非難するつもりはないし、私自身も人智を超えた力があること、何かによって生かされているということ、信じているし、信じていきたいと思う。 けれど気になるのは、他の「教え」を排除することと、悪いことをほのめかすことだ。 この二つがあることで、私はどうしても身構えてしまう。それまでの「教え」がどんなに素晴らしく、人の道理に当てはまり、なるほどと思うことであっても、この二つを目の前に提示されるとき、心の中に疑問が湧いてしまう。 とくに悪いことをほのめかされると、後から後から、いろんな感情が湧いてくる。それは、自分自身の弱さや恐怖との戦いでもある。 毎朝、私は窓を明けて深呼吸しながら祈る。最初に感謝のことばを口にする。これまでは、深く考えたわけではなく「神様」と呼んでいた。けれど、最近その言葉を口にすることに迷いができてしまった。 何を対象に祈ったらいいのか、それがよく分からないのだ。 「全て」なのではないか、とも思えてきた。神様だけでもない、ご先祖様だけでもない、自分の守護神だけでもない、今生きてこの世にいる人、モノ、自然、出来事、そして自分自身、全てに対して感謝をすればいいのではないか、そんな気がしてきた。 この思いを、ここに書くことをとても迷った。何かの宗教や信仰を持つきっかけは、人によってさまざまで、それぞれの出会いがあってのことだと思うし、信仰を持つこと自体は、素晴らしいことだとも思うからだ。 私は信仰を持ちたいと思っている。けれど、まだ特定の宗教との出会いがない。 最近あった出来事で、私はまた信仰について深く考えることになった。そして、また一つ思ったことは、「自分の中にも神がいる」のではないかということだ。 決しておごりとか、不遜とかではないと思う。自分以外の何かに頼るのではなく、自分自身に頼る、それはつまり自分を大切にすることなんだと思う。 こうして書いたことで、少し心の整理がついたように感じる。 生きていれば、迷いばかりがあるけれど、その度に自分の中に答えを見つけていく作業は、キライじゃない。全てのことに意味があり、全てのことが私を育ててくれているのだと思うから。 やっぱり全てに感謝だな。 |
|
|
|