サンタからのプレゼント 2005年12月24日(土)

   昨日、息子のクリスマスプレゼントを仕入れるために、おもちゃやに行った。
 じつは、一昨日もおもちゃやに行ったのだが、息子の目当てのものは売り切れて「無い」ということだった。そこで、なんとか24日までにまた入荷してもらえるかどうかを聞いたところ、すぐに店員さんが電話で確認してくれて、たぶん間に合うということだった。早速翌日、入荷したという連絡が入り、またいそいそと出かけていった。もちろん、冬休みで家にいる息子にはただ、「買い物に行ってくるね」と言って。
 注文の品はレジの後ろに、ちゃんと私の電話番号と一緒にとりおきされていた。
 今年、息子がサンタにお願いしたおもちゃは2千円。ン万円するゲームを欲しがらない息子に、ありがたいような、助かるような、うれしいような、妙な気持ちになりながら、とにかく息子の欲しがるおもちゃがあって良かったという気持ちで、レジのお姉さんに5千円札を渡した。
 最近、買い物をするときには、お金に感謝の気持ちを込めるようにしている。
 たとえば、こんな風にだ。「いま私はこれを買うだけのお金が、ここにあってくれる。お金さん、いままで私のところにいてくれてありがとう。おかげで私はこの品物を買うことができます。息子を喜ばせることができます。ありがとう。私はあなたのことが大好きだから、またいつか、私のところに戻ってきてね。」と、こんな感じだ。
 これは、本で読んだことなのだが、そう思うようになってから、お金を払う瞬間が喜びの瞬間に思えるようになった。
 お金のことを、本当は自分は好きなんだという気持ちを素直に認めたら楽になったし、本当にまた戻ってきてくれるような気持ちさえする。
 それまでは、お金を払うのが惜しいような、またお金を使ってしまったというような、罪悪感を感じるような、苦痛を感じるときもあったし、何も感じないように、スルッと無感情で払うときも多かったと思う。
 おもちゃやで、5千円札を出した瞬間は、私の手元から離れていく樋口一葉さんが笑っているように思えた。小2でもサンタクロースを信じて疑わない息子を喜ばすことが出来る特別なお金なのだ。
 おもちゃやはクリスマスが近いということで、レジから少し離れたところに、特設のラッピング場所があった。私は品物と、ラッピングしてもらうための番号カードと、その店のスタンプカードにスタンプを押してもらうと、特設場所でラッピングをしてもらった。
 ふと、頭の中で「アレ!?おつりもらったかな?そういえば、レシートももらってないよね」ということがよぎった。
 ラッピングを終え、何気なくお財布の中の千円札を数えてみる。お年玉のために千円札をためていたので、千円札はいっぱいある。一体全体、もらったのかもらってないのか、自分でもまったく自信がなくなってしまった。
 ああ、どうしよう。いまさら、おつりをもらっていないというのも、なんだか、難癖つけてお金を盗ろうとしているドロボウみたいに思われるかもしれないし。レジはそうでなくても忙しそうだから、そんなこといったらかなり迷惑だろうし。やっぱり、もらったかもしれないし。
 もんもんとしながら、車に乗り、帰り道はずっとおつりの3千円のことで頭の中がいっぱいだった。
 かなり家に近づいてから、「いや、やっぱりもらっていない。たかが3千円ではない。貴重な3千円だ。私の3千円を見捨ててしまってはいけない。」
 その感情の方が強くなり、結局車を止めて、おもちゃやに電話をした。かなり丁寧に、申し訳ないことを伝え、確かめてもらうことにした。
 すると、10分もしないうちに電話が鳴り、やはりお店の間違いで3千円を渡していなかったという。
 ああ、やっぱりあきらめないでよかったと、心から思った。
 以前、仕事をしていた頃の私なら、おそらくあきらめていたと思う。
 それは、今がケチになったからというわけではなく、本当の意味でお金を大切に扱っていなかったと思うのだ。
 当時、仕事を辞めたいけれど、お金のこともあるし、なかなか辞められなかった私は、汚いお金をもらっているような気がしていた。だから、自分のところに入ってくるお金は、サバサバと無感情に使ってしまっていた。
 この1年、ということで振り返ると、「私とお金」の関係というのも、かなり変わったなあと思う。
 お金のことを考えるとストレスに思うときもあったけれど、今はお金を本当に大切に思える。
 小さなトラブルは、「私とお金」の関係を改めて見直すための、サンタからのプレゼントだったのかな。
 明日はクリスマス。また、サンタからのプレゼントがあるはずだ。私にとっては、「息子の喜ぶ顔」という。
 


冬のホタル 2005年12月17日(土)

   昨日は、親戚のお葬式だった。亡くなったのは22歳の青年。まだ学生で、スケボーが大好きな子だった。10万人に1人という難病だった。筋肉がとろけてしまう病気らしい。難病と分かってから、わずか数週間で急変し、この世を去った。
 私も彼のことを中高生の頃から知っていたので、少なからずショックだった。無口だけれど、はにかんだ笑顔がかわいくて、素直なやさしい子だった。公園に行くと、いつも友だちとスケボーをしていた。声をかけるといつも笑って手を振ってくれた。
 幼い頃、母親の愛情を知らずに育ったと聞いていたので、不憫に思う気持ちもあった。
 病院のベッドで、「自分の足はまだある?」とお父さんに聞いたという。なぜ彼ばかりが辛い思いをするのかと、やるせない気持ちになった。
 福岡で暮らしていた彼が、両親と宮古島に帰ってきたのは12月15日。その日は、彼が宮古島のスケボー仲間に帰る約束をしていた日だったそうだ。彼は本当にその日帰ってきた。大きな箱に入って。
 空港の貨物を取り扱う場所には、親戚のほかにたくさんの友だちが集まり、彼の箱を見ると、みんな泣いていた。彼の病気は、それほど急なことだった。
 彼の箱と家族を乗せたワゴン車は、彼が帰ってきたら、またスケボーをするはずだったいつもの公園に行き、それから自宅に帰ったそうだ。公園にもたくさんの友だちがいて、彼を迎えてくれたという。
 私は、彼が難病だと聞いて、そしてあっけなく亡くなってしまったのを聞いて、彼は幸せだっただろうか?ということがずっと気になっていた。
 昨日、お葬式と夜の自宅での集まりに出て、彼には幸せな時間がたくさんあったことを知った。
 祭壇の前には、スケートボートの板に書かれたたくさんの友達の寄せ書きや、彼への手紙があり、彼の携帯電話には百以上のメールが寄せられていたという。また、自宅の彼の部屋には、地元の友だちがギューギューに集まり、彼や仲間のスケボーの様子を編集したDVDが放映され、みな笑顔でそのDVDを見ていた。
 彼は、実の母親の愛情は知らないけれど、彼の親がわりになって育ててくれた親戚のおばさんたちは、どの人もみな情の厚い人だった。父親の後妻として家庭に入ったお母さんのことは、最後までネーネーと呼んでいたが、いつもネーネーの料理に勝てる人はいないと言っていたそうだ。
 学校を卒業したら早く宮古に帰りたいと言っていた彼の帰りを、いつも心待ちにしているオバーもいた。
 わがままも言わず、誰にも「イヤ」と言うことのない、本当にやさしい子だったという。 
 彼がそれほどやさしい子に育ち、友だちもたくさんいのたは、彼がたくさんの人からの愛情をたくさん感じて育ったからに違いないと思った。
 そしてスケボーをする彼の姿を見て、彼には大好きなことがあって、それを楽しむ幸せな時間がたくさんあったことも感じた。
 彼の人生は、ただ私が思うほど、悲しいものではなくて、幸せな時間がたくさんあった人生だったんだ。そう思った。そう思いたかった気持ちが強かったけれど、たしかにそうだろうと思えた。
 最近強く感じることは、幸せは、「そしておひめさまは、王子様と幸せにくらしましたとさ」というようなゴールではないということ。
 ハッピーエンドのおとぎ話を読むと、私もそんな幸せを目指したい、いつか手に入れたいと思ってしまう。
 けれど、幸せはいつか手に入れたいと目指すものではなく、いま、この瞬間に感じるものなのではないか、と思う。
 幸せは終点にあるべきものではなくて、途中、途中にあるもの。通り過ぎていくもの。だから、そのときそのときに、感じるもの。得たからといって、永遠にとっておけるものではない。
 幸せになるということは、幸せの瞬間をたくさん感じることができるということなんだろうなあ。
 昨日のお葬式で、彼の人生がきっと幸せなものだったということ、それを感じることができたのは、なによりだった。けれど、残された家族の悲しみを思うと、やっぱり心はショボショボしてくる。
 夕べ、彼の家から歩いて家まで帰る途中、ススキの草むらの中で、2匹のホタルを見つけた。沖縄といっても夕べはかなり冷え込み、使い捨てカイロを持っていた。そんな中、地面付近の草の中で、1匹は強い光を放っていた。
 亡くなった人は49日の間、虫などの生き物に姿を変えて現れるという。
 私にとっての彼が、冬のホタルになって姿を現してくれたような気がした。
 ありがとうね、リョウサク。
 


「恥ずかしい」からの脱却? 2005年12月14日(水)

   先週は忙しい一週間だった。12月4日からの人権週間に始まり、日曜日は子どもの誕生会だった。
 人権週間期間中には、街頭での啓発活動や相談所の開設、ハンセン病の療養所で入所者の方たちと交流を目的にした輪投げ大会、人権の花の終了式、人権作文の表彰式、人権講演会など、毎日のようにイベントが目白押しで、その間に子どもの授業参観もあり、ボランティアの忘年会もあり、子どもの誕生会が終わった日曜日の夕方には、クタクタだった。
 人権擁護委員の事務局員になってから3年、12月の人権週間は私にとって1年で最も忙しい時期になった。
 今年は初めての経験もたくさんあった。「人権あゆみちゃん」というウォークバルーン人形の中に入り、子どもたちの前にデビューもした。
 ハンセン病の回復者の方たちとした輪投げ大会も、楽しかった。
 中でも力を入れたのは、人権講演会の人集めだ。ポスターをあちこちに貼ってもらったり、当日の地元新聞には人権講演会へお誘いの投稿もした。
 毎年、人権講演会といっても、なかなか人が集まらず、ほとんどが関係者だけという感じだった。けれど、今回の講師は私がお世話になった人でもあり、またとても魅力的な人だったので、たくさんの人に聞いて欲しいと心から思った。
 当日、「新聞の投稿を見て来ましたよ」と、何人かに声を掛けられたときは、本当にうれしかった。
 人権のイベントが一通り終わった日曜日、今度は子どもの誕生会だ。料理は簡単にできる揚げ物やお菓子を準備して、こだわったのは母によるマジックショー。
 以前、100円プラザで買った七色のアフロヘアのかつらをかぶり、みんなの前に現れると、それだけでどっと笑い声が起こり大人にも子どもにもうけていた。
 七色のアフロヘアは以前に買ったものの、マジックショーをやるときでも、さすがに恥ずかしくて、これまでつけたことはなかった。でも、これだけでこんなにうけるならいいかもね、と、ちょっと快感だった。
 マジックショーも盛り上がり、恥ずかしいからやりたくないと言っていた息子は、「今度はやってもいいかも」と、気持ちが変わっていた。
 年とともに、「恥ずかしい」という気持ちが、「開き直り」に変わっていってるような気がする。ちょっと新しい境地だ。でもそれって、「オバサンの境地」?。いえいえ、「芸人の境地」とでもいうのだろうか。
 私は、人に笑ってもらったり、喜んでもらったり、ときには感動して泣いてもらったりするのが、つくづく好きなんだなあ、ということを改めて感じたこの一週間だった。
 
 


幸せは瞬間でやってくる 2005年12月03日(土)

   ついに人権週間が始まる。3年前、人権擁護委員になってから、12月4日〜10日までの人権週間にむけたこの時期が、私にとっては、とても忙しい年末の一大イベントになった。
 そもそも、「人権擁護委員」に自分がなるなんて、まったく「人権」が無視されたような仕事場にいた私には、どうして自分が?!という気持ちの方が強かった。
 自分や自分の周囲にいる人たちを守ることもできないのに、なぜ私が、そんなボランティア活動をしなければならないのか?神様は皮肉なことを私に命ずるものだと思った。
 けれどいま思うことは、そういう私だからこそ、きっと役に立てることがあるような気がしている。
 それは勝手な自分の思い込みかもしれないけれど、その思い込みが、いまの私を支えているような気もする。
 昨日、小学校での人権教室があり、マイクを握ってきた。
 担当の先生はとても熱心で、子どもたちのことを心から「いい子たちですから」と語り、準備にも力が入っていた。
 これは、絶対にいい時間にしなければ。そう思うと、プレッシャーでもあった。
 『花さき山』の大型絵本の読み聞かせに始まり、いじめにあった子どもたちからの手紙の朗読。手あそび、プリント作業、最後は金子みすずの「わたしと小鳥と鈴と」の詩の朗読を児童にしてもらい、あっという間の45分間だった。
 子どもたちに自分のすきなことと、五感で感じる好きなことをプリントに書いてもらっている間、私は子どもたちの間を歩いて見てまわった。
 「みんなとバスケットをすること」「あそぶこと」「ゲームをすること」「読書をすること」…。
 すきな味は、「カレー」「グラタン」…。
 すきなにおいは、「花のにおい」…。
 次々と、書き出されていく自分の好きなこと。どれもこれも、キラキラと輝いているように思えた。自分の好きなことが何のなのか、それを書いている子どもたちは、どの子もみんな楽しそうに見えた。
 自分の好きなことを好きだと言え、自分の好きなことを大切に育んでいける世の中、それが人権のある社会ではないかと、今の私は思う。
 「自分の好きなことを大事にしてほしい。」シンプルで強いメッセージではないかもしれないけれど、それが、小学生に今伝えたい私からの一番のメッセージだ。
 帰り道、車の中で何度も深呼吸をしながら、脱力感とともに心地よい充実感もあった。
 プレッシャーもあるし、準備も大変だし、お金にはならないけれど、こういう役目を自分が果たせたことを、神様に感謝したい気持ちだった。
 幸せって、到達するものではなく、一瞬一瞬、通過していくものなんだろうなあ。神様に感謝したいと思ったそのとき、私はたしかに幸せを感じていた。そして、それに似た気持ちが、以前にもあったことを思い出した。
 

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