| ■ いいなあ、青春。 |
2005年07月11日(月) |
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宮古島はもうすっかり夏だ。毎日毎日、とにかく暑い。朝掃除をすると汗ビッショリ、昼ごはんを食べても汗ビッショリ、午後になると南側の自分の部屋にいるだけで汗がジワジワ、夕方息子とビーチボールでバレーをすると、もう汗グッショリのクタクタだ。お風呂に入って、夕飯の支度をしてまた汗ビッショリ、眠るときのクーラーのきいた部屋がたまらなく気持ちいい。 自分の目標は見えてきたんだけれど、一日の中で、目標に向かう時間がなかなかとれない。一日って、あっという間だなあ。ボチボチ行こう!と自分に言い聞かせる。 週末の夕方、久しぶりに東洋一といわれる宮古島で最も美しいビーチに行ってきた。子どもはアトピーで潮水がしみて痛いため、海には入りたがらない。無理をせず、砂浜でビーチサッカーや、砂風呂を作って遊んできた。 若い高校生ぐらいの3人組が、港から海に飛び込んで遊んでいた。遠くから見ると、一人は女の子で、手をブラブラさせて何度も飛び込もうとするのだが、なかなか飛び込めない。 見ている私たちもじれったいような、今度こそ飛び込むか?という期待で目が離せなくなっていた。 私たちは家族3人で散歩しながら少しずつ彼らの近くに行き、ずうずうしい私は声を掛けた。小2の息子も、「飛び込むとこ、見たい」と言い出した。 体格のいい男の子の方が、「じゃあ、見せてあげるか」といって、目の前で走り、勢いよくダイブした。 少しおしゃべりをして、女の子に「最初に飛び込むのはこわいよね」と声を掛けた。通り過ぎて、私たち家族は女の子の後ろの方に去っていくと、「今度こそ!」という感じで、女の子が飛び込もうとしている。 「ガンバレ!ガンバレ!」声に出さないように、見守ると、女の子は振り向いて、恥ずかしそうにしながら、男の子が待っている海に飛び込んだ。 「やったー!!」 息子と二人で拍手した。 初めて飛び込んだ女の子を守るように、男の子二人がそばに寄り添った。 いいなあ、青春だなあ。 それにしても、自分はオバさんになったんだなあ。あんなふうにずうずうしく声を掛けちゃうんだから。 まあ、いいっか。 彼らの青春映画の中に、脇役で特別出演したような気持ちになった。 |
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| ■ 自分をむしばむ感情 |
2005年07月03日(日) |
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ボランティアの相談活動をしていて最近、なかなか解決の糸口が見つけられない問題には、なんとなく共通している部分があることに気が付いた。一言でくくるのは難しいのだが、それは概して「相手に反省してもらいたい」という、相手側の言動をなんとか変えたいという強い欲求がある場合だ。 人は簡単に変われるものではない。誰かに言われて変わることは、もっと難しい。けれど、人を変えたい、変えようとするところに、深い底なしの沼が広がっていて、そこに落ちてしまうと、簡単には人を許せないし、あきらめがつかないようだ。 人をなんとかしようと思うところに、ムリがあるのだと思う。けれど、その感情に取り付かれると、「コントロールできるのは自分だけ」という理論は、もう通用しない。 「相手が悪いのだから、自分は悪くないのだから、相手に謝ってほしい。反省してほしい。相手が悪いということを、裁判してでも、できることなら罰でも与えて、是が非でも分からせたい」。 そういって、相談に来る人に私は、ただその感情をきくことしかできない。 トラブルを本当に回避することを望むなら、たとえ自分のせいにされても、多少のお金がかかっても、トラブルを避ける方法はあるのだが、気持ちが絶対に許せないのだ。 人は気持ちで動いている生き物なのだ、とつくづく思う。でも、本当に自分の気持ちを安らかに、穏やかに過ごすことを選ぶなら、憎しみの感情をなるべく捨てる方法を選ぶことだと思う。 「相手をなんとかしたい」という感情が強くなればなるほど、自分を傷つけ、ますますトラブルの中に身を投じることになる。 最近見たテレビで、すごく感動した実話があった。針治療を受けている最中に意識不明になり、その後もずっと寝たきりの障害者になってしまった母親が、「子どもたちに人を恨んで生きている姿を見せたくない。だれも私を障害者にしようと思ってやったことではないのだから」といって、裁判に訴えることはしなかった。―という話だ。その人のことはラジオで紹介され、周囲には温かい人の輪が広がっていった。 憎しみや恨みの感情に自分がとらわれてしまうと、抜け出すのが本当に困難なことを感じる。できることなら、誰も憎まず、恨まず生きていきたい。そのお手本のような人だと思った。 私にとってココロハカイダーは、そういう自分の憎しみや恨みといったダークな感情を身代わりになって引き受けてくれる存在かもなあ、と改めて思った。 ココロハカイダーにも感謝。 |
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