「好きなこと」からの解放 2005年04月25日(月)

   先週はなんだか、何かが見えてきたような気がするのにハッキリしない、するべきことがあるような気がするのに何をしたらいいのか分からない、モヤモヤした気持ちがあった。
 「我慢する人生ではなくて、楽しむ人生にしたい」。そう思っていたのに、自分にとって「楽しい」を追求することができない。自分は今仕事をしていない、という罪悪感が根っこにあるようで、苦労をしてやっぱり働かないといけないような、そんな気がしてくる。
 それに、一体自分にとって「楽しい」って、どんな瞬間だろう。何をしている時だろう。私は何が好きなんだろう。本当に好きなこと、やっていて楽しいことを仕事にしたい、それを実現している人は幸せだな、なんて思っていたけど、自分は、本当に好きなことすら、楽しいことすら分からない。
 スポーツ選手、俳優、料理人、職人、いろいろな職業の人、マスコミに出て輝いている人は皆、自分の専門を持って、その道に邁進している。私にはそういうモノがあるだろうか?今から、それを見つけられるのだろうか?将来がこれからという高校生でもないのに。
 なんとなく悲観的な考えが心にあった。
 でも、また気が付いたことは、私の中に、「自分の好きなことを仕事にしている人は幸せだ」「私も好きなことを仕事にしたい」「だから私も、好きなこと、楽しいことを見つけなければならない」という、「ネバナラナイ」に近い感情があったのではないか、と思えてきた。
 私は「生きがい」「やりがい」を見つけたいんだと思う。でもそれらは、決して「好きなこと」の延長にあるわけではないんだ。人によっては「好きなこと」を追求することが「生きがい」になる人もいるだろうし、また別の人によっては、「意味のあること」を追求することが「生きがい」になることもあろうだろう。他にもいろんなことが「生きがい」になるタイプがあるのだと思う。
 私はどちらかといえば、後者のタイプだったんだな、と思う。私にとって今意味のあること、それをいつも探していたんだと思う。
 「好きなことを見つけよう」という感情から、少し自由になれたような気がした。好きなこと、見つけなくてもいいや。そう思えてきた。
 私は間近な目標が欲しかった。いつも何かに向かってチャレンジしていたかった。だから、モヤモヤしていたんだ。
 心の中でブツブツ、ボヤボヤ、バラバラした気持ちが整理されてきたら、新しい目標が見えてきた。じっくり育てていこうと思う。
 


はじまりの石(意志) 2005年04月19日(火)

   専業主婦となって早数ヵ月、少しずつ生活のペースがつかめてきたような気がする。
 朝ごはんの後、子どもを送り出してからジョギングをして、洗濯をして、掃除をして、机に向かって、また、昼ごはんの準備をして…、と。
 一日のうちで、机に向かう時間が私にとっては、心を落ち着け、心を整理し、こうして文章を書く、とても大事な時間だ。
 数日前、夫の会社のお客様を一緒に案内し、久しぶりに島を観光した。その方の希望もあり、新城定吉さんの石庭に行った。新城さんの石庭は自己啓発本などで有名な船井幸雄さんも紹介していて、宮古島では知る人ぞ知る、ちょっとマニアックな場所だ。
 新城さんは天からの啓示によって、テコの原理を利用し、人力だけで何十トンもある石を庭から掘り起こし、たった一人でいくつもの巨石が林立する石庭を作った人だ。
 新城さんの石庭におじゃまするときは、必ず新城さんに声をかけるのが礼儀として、暗黙の(というか、あたりまえの)ルールになっており、その日も、石庭を見る前に声をかけ、見てから新城さんの話を久しぶりに聞いてきた。
 新城さんは84歳、以前お会いしたときより白髪が増え、きれいな銀髪になっていた。以前の話で覚えているのは、たしか素粒子の話だった。
 今回は、アトランティス大陸やムー大陸、フロイトの話など、前回とはまた違う話だった。
 日常の世界で、突然新城さんの話を聞くと、変な感じのする人もいるかもしれないが、決して新城さんはおかしいわけではないと思う。人間とは何なのか、地球は何なのか、自分が生きている意味は何なのか、あらゆる分野の学問から、とても純粋に考えている、ある意味で現代の哲学者のような人だと、私は思う。
 新城さんの庭を回るときには、自分の気の向くままに歩き、「これだ」と思う石が「自分の石」だと、以前新城さんに教えてもらった。
 今回、私がたどりついた石は、新城さんが石を掘り始めた最初の頃のものだった。琉球石灰岩でできたその石はだいぶ風化していて、表面がボロボロと崩れてきそうだった。一つ一つの石には、そのとき新城さんが書き残しておこうと思ったメッセージがついている。
 その石についていたメッセージは、たしか「どんな巨石でも棒をつかったテコの原理で掘り起こすことができることを教えてくれた石」というようなものだった。
 教示的なメッセージがついている石もあるが、今回の言葉は、メッセージじゃないのかな?と思いながら、しばらくその石の前にひとり立っていた。
 すると、メッセージになって伝わってきた。
 棒とは、自分の周りにある身近なもののこと。身近なものでも、使い方によって、大きなものを動かすことができる。私にとっては、今自分にできることを、たかが棒切れと思わず、その棒切れを使いなさい。という意味のように感じた。
 私にとって「棒」は「ペン」(というか「パソコン」)、つまり「書くこと」なんじゃないか、と思った。
 私は、宮古島に来る10年前、童話を書きたいと思っていた。そのことを思い出してから、少しずつ書いたりしていたのだが、最近できたお話を先日、子どもに披露してみた。子どもの反応は正直だ。ネットで見つけた童話賞の大賞になった作品を読んであげたときと、まるで違うのだ。子どもは「なんとも言えない」と言いながらも、傍から見れば明らかに「つまらなさそう」な顔をしていた。
 まだまだだ。巨石を動かすのは、やはりそう簡単なことではないのだ。コツコツいこう。新城さんにとって石庭のはじまりとなった石に出会った私もいま、はじまりにいるんだと思う。
 


見舞いと応援の週末 2005年04月18日(月)

   先週末、子どもと二人でまた沖縄本島の病院に入院している義父を見舞いに行った。義母も、ずっと義父に付き添っているので、義母の陣中見舞いに行くような気持ちが強かった。
 義父は一般病棟に移り、だいぶ良くなっていた。
 プライドが異常といえるほど高い義父のそばで、何十年も過ごしてきた義母は、穏やかで優しく、本当に心の強い人だ。時々吐く弱音や愚痴に付き合うとき、義母はこの夫のそばにいながら、自分の心を病むことなく、よくこんなに健全な心を保ってこられたものだな、と私はいつも義母の強さに関心する。
 久しぶりに、二人でいろいろな話をした。義母は私にとってよき理解者であり、霊感の強い義母と、それぞれの心の出来事を話すのは、単なる世間話とは違い、大切な時間のような気がしている。
 土曜日に沖縄本島に一泊し、日曜日に宮古島に帰ってきた。この日は、年に一度開催される「全日本宮古島トライアスロン大会」だ。
 水泳3キロ、バイク(自転車)155キロ、フルマラソン42.195キロを14時間以内に走破する過酷なレースが、島全体を使って行われる。
 自分の体を鍛えぬいた鉄人たちが、今年は1295人参加した。
 島では、この日のために、あちこちを清掃し、沿道を花で彩り、地元選手だけでなく、交流のある選手を応援する横断幕があちこちに飾られる。
 この日は約5万人の島民の多くがボランティアをしたり、沿道で応援をしたりして、島中がトライアスロン一色になる。
 私はこの日が結構好きだ。名前も知らないアスリート一人一人が、苦しそうにしながらも、ゴール目指して走っている姿を見るだけで、感動が胸にこみ上げてくる。
 簡単な決意では出られない大会だけに、それぞれにドラマがあり、熱い思いを抱えてこの島にやってきたことを思うと、それだけで涙がこぼれそうになるのだ。
 今年応援したアスリートは、息子の小学校と縁のある方で、自分の娘に平良市(ひららし)の「ひらら」と宮古島の「みやこ」と付けるほど、宮古が大好きだという。しかし「みやこ」ちゃんは生まれて8日目に亡くなってしまい、今年、「385(みやこ)」番のゼッケンを背負って出場した。
 私と息子も、競技場に入ってから横断幕を持って、一緒にゴールの感動を味わった。
 ゴールしたアスリートたちは、必ずのようにこう言う。「宮古の大会は、本当に沿道の応援がすごくて感動しました。島の人たちの応援に本当に励まされました。ありがとうございました」と。
 でも私は「こちらこそ、ありがとう、感動をもらって」と言いたい気持ちでいっぱいになる。
 今年のトライアスロンも、胸いっぱいになった。こうして熱く、暖かい気持ちが集まる宮古島。この島に住んで良かったな、と、また思えてきた。
 


子どもはスゴイ! 2005年04月11日(月)

   今日は旧暦の3月3日、宮古島では「サニツ」(おそらく「3日」の意味)といい、女性たちが「浜下り」と呼ばれるみそぎをする日だ。今ではあまりその習慣を実行する人はいないが、この日前後の大潮には、大勢の人が干潮の海に行って潮干狩りを楽しむ。
 私たち家族3人も、昨日はお弁当を作って宮古島で一番東の先端にある海岸へ行ってきた。
 潮溜まりになっているところで釣り糸をたれるが、なかなかいいポイントが見つからず、収獲はゼロ。近くを歩いているおじさんたちは、タコをとったり、貝をとったりしていた。
 今年、小学2年生になった息子は、冬場からアトピーがひどくなり、これまで出なかった顔にまで症状が出ている。足首のあたりが特にひどくて、風呂上りは毎日のようにかきむしり、「かゆいよ〜」と言って泣いている。
 「海に行きなさい。海に入れば治る」。多くの人はそういうのだが、傷口のある彼にとっては、海水はしみてたまらなく痛いため、かなりの苦痛だ。
 また彼は、ナマコが大の苦手で、昨日は痛いのとナマコが怖いのとで、海に入ってから散々怒りながら泣いていた。
 息子にアトピーがあることで、私自身もいい事も嫌な事も含めいろいろな経験をしてきた。小さい頃は、この子が覚えていないうちに、治してあげたいと思っていたし、息子のアトピーは、母親である私がなんとかしなければという思いが強かった。
 でも今は、彼がアトピーであることにも、いろんな意味があり、それは私だけが背負うものではなく、彼(息子)自身も背負っていく問題なんだと思っている。
 最近、息子の言葉にハッとさせられることがあった。
 この春は、どんなクリームを塗っても、皮がむけるのがひどくなる一方だったので、息子と相談し、しばらく何も塗らないで頑張ってみようということになった。何週間たっても顔や体の皮がむけるのはなかなか治まらなかった。 
 そんなとき、大学時代の友達家族と遊ぶことになった。家にだけいるときは、どんなにボロボロのひどい顔でも、私は「あなたがどんな顔でも、大好きな気持ちは変わらないよ」と言っていたのに、そのとき私は、その日だけは顔にクリームを塗ろうと言った。
「人にかわいそうと思われるのと、思われないのどっちがいいの?」そう言って、私は彼に聞いた。
 すると、彼はきっぱり言ったのだ。「どっちでもいい。だから塗らない」と。
 私は息子に、人からの評価を気にせず、自分自身に従って生きて欲しいと思いながらも、私自身が人の評価を気にしていたこと。彼が、私の矛盾に即座にきっぱりと反応したこと。すごいなあ、と思った。子どもに教えられるというのは、こういうことだと思った。
 私は「分かった」と言ってから、しばらくして、「あなたはスゴイ。人からどう見られるかを気にせず自分は自分と思えるあなたはエライと思ったよ」と話した。正直に思ったことを伝えるのが、大事だと思った。
 アトピーさん、いろんなことを教えてくれてありがとう。でも、もうそろそろいいのではないでしょうか?そうお願いしたい気持ちだ。
 


憎しみの感情はどこへ? 2005年04月08日(金)

   やっと春がきたなあ。
 こんな日は、朝から洗濯物を外に干すのが気持ちいい。
 年が明けてもう4月。今年はこの4カ月のうちにいろんなことがあった。
 私は1月に、10年勤めた義父が社長である会社を辞め、専業主婦になり、なんとか生活のペースもつかめてきた。
 義父は予想外の手術で、いま本島の病院に入院している。
 先日、その義父を見舞ってきた。一度は手術前、そして手術後にも。
 会社を辞めるときには、一方的にいろんなことを言われ、しばらく顔も合わせていなかっただけに、どんな顔をして私は会いに行ったらいいのだろうと思っていた。
 手術前には、子どもと二人だけで病院に行き、私は普通に笑顔で話していた。義父も驚いた様子だったが、とても穏やかだった。
 そして手術後、まだ集中治療室にいるときにまた見舞いに行った。私はまたも、窓越しに手を振って、普通の笑顔を向けていた。今度は私の子ども(孫)の手を取って、義父は涙を流し始めた。思わずもらい泣きをしてしまった。でも私は決して、義父が泣いている姿を見て、義父が変わったんだとか、これまでのことを悔い改める気になったんだとか、そんな風に思ったわけではなかった。ああ、つらかったんだな。ただ、その気持ちに共感しただけだった。
 一体、私はどういうことなんだろう、と思う。
 義父のことを許したのか?と聞かれれば、決して許しているわけではないと思う。ただ、今その質問をされても、私にとっては、許すとか許さないとか、関係ない問題になっているというのが、一番近いのかもしれない。
 義父との大きなつながりだった会社から離れたことで、私は憎しみの感情からも遠ざかることができたのかもしれない。
 普通の笑顔を向けられる自分が、ウソなのか本当なのか、自分でもよく分からなかったが、私の心の中には、なんの波風も立たず、穏やかだったことを思うと、そういう笑顔を向けられた自分のことを、やっぱり誉めてあげてもいいんだと思う。

 いま、アメリカで知り合った通訳の人が書いた『宇宙心』という本を読んでいる。霊能者ではない、無名の聖者の生き様をつづった本なのだが、少なからず、私自身もこれからどう生きていったらいいのか、とても考えさせられている。
 

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