春休みに思うこと 2005年03月26日(土)

   実家へ帰る日が近づき、なんだかあわただしい。
 研修のレポートを書き終えてから、次々とやるべきことが押し寄せているような感じだ。
 今回の帰省では、高校の同級生が初めての子を出産したのでお祝いに行くのと、知人の結婚式と、大学の時の友達に会うのと、いろいろ盛りだくさんの旅で、事前に準備するものがあれやこれやとある。
 そしてもう一つ、いま那覇に入院している義父にも会いに行く。子どもと私の二人だけで、ちょうど義母もいないときなのでほんの少し不安もあるが、うちの一人息子は人付き合いに関しては、まだ7歳でもすごく頼りになるので、心乱すことなく行って来られると思う。
 
 もうすぐ4月、新しいことが始まる季節だ。
 私にとっても一つ、新しい事が始まる。今やっているボランティア活動の関係で、月に2回、結核の集まりに出ることになりそうだ。
 昨日その説明会があって、人口5万余の宮古島にも、年間約15人の結核患者がいるそうだ。日本全国でも、まれに集団で数十人が発病することもあり、結核は決して昔の病気ではないのだということを知った。
 ボランティアの仕事はますます忙しくなりそう。
 なかなか私には、お金を稼ぐ方法を見つけて実践することができないが、いまはそういう時期なのだと思って、自分が必要とされるならどんどんやってみようと思う。
 「お金持ちになりたい」とか「もっと大きな家に住みたい」とか「あちこち旅行もしたい」とか、いろんな「欲」があって、そういう「欲」を持たずに、本当に人のためだけに生きている人を見ると、すごいなあ、って思うけど、私にはまだそれはできそうもない。
 じゃあなぜボランティアをしているのか? うーん、自分のためにもなっているから。喜ばれたり、感謝されたりすると自分もうれしいから。一緒に活動する仲間がいるから。自分が何かの役に立っているという実感があるから。そんな、感じだろうか。
 あせらず、自分の「欲」と何かの「役」に立つということを調和できるような生き方を見つけていこう。
 
 


夕方のひと時 2005年03月20日(日)

   昨日朝方、子どもが急に熱を出して「もしやインフルエンザかも?」ということで病院に行ってきた。かかりつけの小児科は、普通ならあまり待たずに診察してもらえるのに、待合室にはあふれんばかりの人で、本当に風邪やらインフルエンザが流行っているんだ、というのを実感してきた。
 心配したインフルエンザもどうやら違うようで、今日になり熱も下がって、少し外にも出かけてきた。
 今日は暖かく穏やかで、とてもゆったりした気持ちだ。こうして自分でリフォームした机に向かう時間がいまはとても好きだ。近くで焚き火をしている匂いがする。ときどき「パチ、パチ」という音もする。
 さあて、そろそろ夕飯の支度でもしようかな。西日がまぶしい。
 


木々とあいさつ 2005年03月16日(水)

   今日はアメリカ研修のレポートが手につかない。書き出すと集中するのだが、今日は書き出すところまでいかない。
 朝、いつものようにジョギングに行き、後半は近くの公園を歩いた。天気もよくてすごく気持ちが良かった。木々の葉っぱがそよ風に揺れているのだが、みんな同じように揺れているわけではなく、じっと動かない葉っぱもあれば、やけにブルブル揺れている葉っぱもある。その様が、木々が手を振って、あいさつでもしているようだった。木の葉って、こんなふうに揺れるんだなあ。空や木をゆっくり見上げながら歩くと、こんな発見もあるんだ。と、朝のひと時を満喫した。自分の内側から浄化されていくような気分になった。
 自分の中で「何かを見つけたい、見つけなきゃ」という焦る気持ちと、「今はこれでいいんだ」という穏やかさと両方が同居している。
 


もらうボランティア 2005年03月11日(金)

   夕べは、久しぶりにカウンセリングの勉強会だった。私は特に落ち込んでいるわけでもなく、うつ気味でもなく、暗いわけでもなく、見た目はたぶんいつもの私のように穏やかに笑っているのだが、なんとなくフニャフニャとした私の状態を察知した友人が、「まだアメリカから帰ってきていないみたいだね。(アメリカで学んできたことを)吐き出さないとダメだよ」と言ってくれた。
 そして「事実は一つだけど、真実はいくつもある」という話をしてくれた。起きた事柄は一つしかないが、それを自分がどう思ったか、感じたか、受け取ったかという真実は、どんどん変わり得る、と。だから、真実を書こうと思わないで、ただ事実を書けばいいのだ、と。
 なかなかいいことを言う。その友人は、私にとってメンター(導いてくれる人)でもあると思っている。たしかにその通りだと思った。今の私は「気が抜けている」ような状態だ。燃え尽き症候群か?とも思ったけれど、たまたま「燃え尽き度チェックシート」を見つけたのでやってみると、どうもそれほどではない。自分で自覚した時点で、たいしたことではなくなってしまったのだと思う。
 その友人がボランティアの話題で「お茶を入れてもらうボランティア」という話をした。「してあげる」のがボランティアだという考え方だけでなく、「してもらう」のも実は相手に「あなたがいてよかった」というメッセージを送るボランティアになるというものだ。友人は以前本で読んだと言っていたが、私はその話が妙に心に響いた。
 あるヘルパーさんがお年寄りの介護に行った。そのお年寄りがヘルパーさんに「お茶を入れてあげるね」という。ヘルパーさんは、「ありがとう。おばあちゃんが入れてくれるお茶はおいしいね」と言って、ありがたくお茶をいただく。それも大事なボランティアだ、というのだ。
 たぶん自分の立場が社会的に弱くなっていると思うからこそ、自分はお茶を入れる側として、すごく共感したのだと思う。
 助けてあげる人と助けてもらう人、実は助けてもらう人も、助けてあげる人にとって「生きている甲斐」という貴重なお返しをしているのだ。
 夕べの勉強会はたった3人だったが、久しぶりに来たもう一人の友人も、昨年いろいろ大変だったことが一段落して顔の表情がとても穏やかに明るくなっていた。
 たまにしかしない彼女の自分の話を聞くたび、どうして彼女ばかりこんなに大変な目に遭うのだろう、と返す言葉も見つからないくらいだった。
 でも彼女は信じて待つことができた。その「信じて」「待つ」ができたからこそ彼女のそして彼女の家族の人生がいい方向に変わってきたのだと思う。心から良かったと思うと同時に、彼女には、本当に生き方そのものを通して教えてもらっていると思う。
 彼女は「この勉強会に救われた。自分は勉強する側ではなく、クライエント(相談者)だった」と、しきりに言っていたが、決してそうではなかったと、「お茶を入れてもらう」ボランティアの話が私の中で重なった。
 今自分がどんな状態であろうと、たとえ自分がしてもらってばかりで情けないと思えても、だれかの「生きる甲斐」になっているわけで、まぎれもなくそれは、「誰にでも生きている意味がある」ということなんだ。
 私は今日、アメリカの研修レポートを本格的に書き始めた。真実にこだわらず、単に見てきた事実を書くことにやっと、集中できるようになった。
 ありがとう、私の周囲にいてくれる人たち。私はあなたたちによって、生かされています。なんだか、素直にそう思える。
 


得意なこと 2005年03月08日(火)

   今朝はついに、ジョギングをしてきた。ほんの20分くらいだが、この数分間の一日の変化が、なかなかできずにいた。
 さらに今日は、午前中から自分の机を作り直した。どうも私は形から入る方なので、家で机に向かう時間を快適に過ごしたいと思ったら、今の机ではどうしても納得がいかなかった。通販で買った奥行き44cm×幅180cmのスリムな机で、たまにしか座らないときにはまあ、それでよかったのだが、毎日そこに座るとなるとどうしても奥行きが狭くて、使いずらかったのだ。
 洗濯を済ませてからすぐにDIYセンターに行き、ベニヤ板とカッティングシートと蝶番(ちょうつがい)を買ってきて、昼食後またすぐに作業にとりかかり、2時には奥行き60cmに拡大された机が完成した。
 自分で言うのもなんだが、完璧だ。素晴らしい。どこから見ても最初からこういう机だったとしか見えない仕上がりだ。自分が得意なことをまた改めて発見したような気分だ。工作とか、技術とか、家庭科とか、美術とか、モノを作るのは人より得意な方だった。うーん、自己満足。
 今日は朝から天気がよくて、こうして机に向かうと窓から近所の木々の葉っぱがきらきらと輝いているのが見える。鳥もないている。そよ風も吹いている。穏やかだ。人生のうちでこういう時間が持てたことに、感謝したい。
 


自分を見つめる時間 2005年03月04日(金)

   宮古島では、今朝本当に久しぶりにほんの少し太陽が顔をのぞかせた。でも、本土で雪が降っているだけに、宮古島もかなり寒い。
 ここのところ、ずっと曇りや雨の天気で、かなりうつうつとした日々が続いている。あんまりそういう日が長いので、そのうつうつにも少し慣れてきたような感じだ。
 仕事以外の活動は、これまでと変わらずいろんなことをやっているのに、「収入がない」ということはこんなにも「世捨て人」のような気分になるものなんだな、ということを今実感している。
 そしてまた、何かの組織に属していると、自分がなんだか生かされているような気分にもなるものなんだな、とも思う。
 自由になりたい、と思いながらも何かに縛られていたいという気持ちも実は同時にあったりして、自分の祖先は猫じゃなくて犬だろうなあ、とか、とりとめもないことを考えている。
 今度の春休みは、子どもと一緒にゆっくり実家に帰って来ようと思っている。でも働いていないというのは、なんとも妙な気分だ。そんなにのんびりしていいのか、とか、いろんな声が聞こえてきそうで。
 しばらく、自分を見つめる時間がつづきそうだ。
 

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