経済的な自立 2004年11月29日(月)

   最近、考えることがいろいろある。
 何から書いたらいいのか、分からないくらいだ。
 このホームページのことでいえば、やっぱり私は何をやっているのかな?何をしようとしているのかな?と思ったりもする。
 掲示板にいろんな人が来てくれて、私は私なりに一生懸命返信して、「ありがとう」っていう言葉に気持ちよくなって、でも自分は何様のつもりなんだろう、って、少しいい気になっていないかな?って。
 パーソナリティ障害を抱えている人たちの闇は、私には簡単には理解できないくらい深いんだ、ということも感じるようになってきたからだ。
 どうしてパーソナリティ障害が生まれるのか、それを思うと、やはり親が子どもに与える影響の大きさを感じないではいられない。子どもを一人の人間として認め、自分は生まれてきて良かったんだ、自分は生きているだけで価値があるんだ、って思えるように、愛情をたくさん注いで育てたいと心から思う。
 お金のことについても考える。
 私は、パーソナリティ障害の親から経済的に自立をしたいと強く思っている。私たち家族の経済は、親の会社で働いているわけだから、つまりはすべて親からの支給といえるわけで、私は自分たちのお金も結局、親に握られているというのが、たまらなくイヤだ。
 会社をやめろ、と言われるたびに、私たちは絶対的に不利な立場に追いやられるわけだ。
 会社をいま辞めるつもりはない。だけど、お金は稼ぎたいと思う。収入源は一つじゃなくて、いくつもあったにこしたことはない。
 でも、お金を稼ぐって、そう簡単なことじゃないんだよね。しかも仕事をしながらだし。
 私はずーっと前からの夢だった、自分の本をつくりたい。
 そんなこと、あれやこれや、年末の忙しいときだというのに、頭の中はいろんな計画が湧いては消え、湧いては消え、と忙しい。
 とりあえず、今日を生きよう。
 


ハウルの動く城 2004年11月23日(火)

   昨日午前中に、東京から帰ってきた。相当疲れていたらしい。昼ごはんも食べないで3時ごろまで昼寝をして、夜は子供を寝かせながら自分も8時半ごろ寝てしまった。
 いろいろな意味で実りの多い研修だった。人と人とが心をオープンにして接するというのは、とても居心地のよいことでもあり、また疲れることでもある。
 カウンセリングの用語で「自己開示」という言葉があるが、そのことについてとても考えさせられた。
 なかなか自己開示できない人に対して、アプローチすればするほど、どんどん心を固く閉じてしまうこと。けれど何もしなければ(言葉かけなければ)、さらに孤立していってしまうこと。グループ研修においてメンバーの多くが、その人のことで心を悩ませていた(んじゃないかなと思う)。
 2日の研修を終えて私はその晩、自分へのプレゼントして、一人で本当に久しぶりに映画を観た。何にしようかかなり迷った末、『ハウルの動く城』を観た。
 もしかしたらハウルは境界性パーソナリティ障害なんじゃないか?そう思ったのは私だけだろうか。魔法使いですごくカッコいいハウルは、時にとても弱々しく、心に何か満たされない思いを持っているようだった。荒地の魔女は自己愛性パーソナリティ障害?。
 そして結局「愛」がハウルを救い、荒地の魔女を救い、世界を救うことになる。
 私にはそう思えた。なんかいろんなことを考えれば考えるほど奥が深くて、人それぞれの気持ちで見られる映画だと思った。
 もう一回、また気持ちを空っぽにして観てみたい。
 


忙しさに救われて 2004年11月16日(火)

   今週は、なんだか忙しい。いや、ここのところ、ずっとそんな感じだ。うちは年末忙しくなる職業なので、もう11月からその忙しさがはじまっている。
 忙しいときというのは、頭の回転もよくなっているのか、今やらなくてもいいことまで、あれこれ思い浮かび、それらがまた自分の気持ちを圧迫したりして、ちょっとリラックスが必要だ。
 ドーンと落ち込みが来るかな?と思っていたら、そんな暇がない、というのが現状だ。今週は、予定もたくさんあって、週末には産業カウンセリングの研修を受けに東京まで行くことになっている。家族から離れ一人になるというのは寂しさもあるが、たまには新鮮な気持ちになれるので、楽しみでもある。
 東京はだいぶ寒いのかな?
 


いつもの私 2004年11月13日(土)

  今日は仕事は休み。
休みの日は、本当にホッとする。
今日は庭の花壇に花の苗を植え、種も蒔いた。
今日子どもが、ヤモリの卵を入れたままほったらかしにしていた小さなプラスチックケースをのぞくと、なんと卵が割れて小さなヤモリが2匹、吸盤のような足でしっかりとプラケースの内側にくっついていた。
頭でっかちの小さなヤモリは、とても可愛かった。
生命の誕生というものは、なんだか元気をくれるような気がした。
夕方2匹のヤモリを子どもと一緒に庭に放し、今日はのんびりと過ごしている。
私はのんびりでいいのだが、子どもはちょっと退屈そう。
今日の夜は『ドクターコトー』を観るのが楽しみだ。
今は心の平穏を感じている。
 


許さなくてもいい 2004年11月12日(金)

   今回のことで、私はどうしても許せないことがある。それは、自分の身を守るために、子どもたちに汚名を着せるという義父の行為だ。自分が犯した過ちの責任は自分でとるべきだ。それは、経営者としても、また親としても、人間としてもだ。
 子どもの過ちを親が責任を取ることはあっても、親の過ちを子どもの責任にするという行為は、たとえどんな経営戦略があろうとも、私は人間として、人の親として、絶対に許せない。
 そのことについて、子どもたちに対しきちんと謝り、頭を下げ、説明をしてくれたならまだしも、最初は怒りで服従させようとし、それが駄目と分かれば、次の日はなだめすかそうとした。最後まで、自分の犯した過ちは隠していたのだ。
 本人が謝ってくれない限り、たとえどんな人が義父をかばっても、私は決して許さない。
 私の夫や義兄は、長い間、そういう父親の下で暮らしてきて、そうしたことに私よりは慣れているのかもしれない。でも、だからこそ、私だけは決して許してはいけない、と思っている。
 真実は一つのはずだ。真実をねじまげる行為は、犯罪だ。ヤクザの世界のように、親分の代わりに子分が牢屋に入ればいい、という世界で生きているわけではない。間違っていることは間違っている。きちんとそういえる社会でなければならない。
 今回のことで、これはパーソナリティ障害だから、という理由を超えている問題なのではないか、と思った。パーソナリティ障害だから仕方ない、なんてそんな風には決して思えない。怒ったときにカーッとなって手を上げるような一過性の行為とは全く違う。自分の身を守るためという目的に向かって行われている、すべて関連した一連の活動なのだ。
 これをパーソナリティ障害のせいにしてしまったら、いけないと思っている。それこそ、パーソナリティ障害に対する誤解につながってしまうと思う。その人個人が問われるべき問題だ。パーソナリティ障害者の犯罪において、やはり私は責任能力がある、いや責任能力をきちんと持たせなければいけない、と思う。
 今回のことをどこまでここで書いたらいいのか、迷っていた。今回のことは私の怒りという気持ちに焦点があり、それは、どうしても相手のあることだから、誹謗中傷にならないか、それがとても気になっていた。
 でも今朝、庭に出て青い空を見上げていたら、書いてもいいという気持ちになった。そして今なら書けるような気がしてきた。
 私の心は、これを書きながら、決して怒りの波が荒れ狂っている海ではない。ちょっと思い出してザワザワしているけれど、すぐにまた静かな海に戻れるような気持ちだ。
 夕べはカウンセリングの勉強仲間にも、私の気持ちを聞いてもらった。今回のことで私は本当に多くの人に相談することができたし、また、多くの人が私や私たち夫婦のことを心配してくれた。
 いま、私の心は落ち着いている。自分の中だけに溜め込まない、ということが、自分を守るためにも大事なことだと実感した。
 そういう意味でも、私はまたここに書いているのだと思う。ここが自分を守るための大事な場所でもある。
 


久々の対決 2004年11月09日(火)

   やっぱり疲れた。うちのココロハカイダーマンとは、話し合いが絶対に話し合いにならない。こちらが話を聞くことしか求めていないので、一方的な話にしかならないのだ。何か提案でもしようものなら、ことごとく一掃される。さらに感情をむき出しにして、非難し、ののしり、仕事のことなのに、家族のことと問題をごちゃ混ぜにし、全く聴く耳を持たない。
 久しぶりにまた、どうしても分かり合えない、話し合いにならない人なのだ、ということを実感した。
 70余年積み上げてきた考え方や人生の方向性というものを考えるとき、今の私たちのそれとは、簡単には交じり合えないのだろうな、ということをまた改めて感じた。
 理解しあえないことがつらい、というより、理解しようともしてくれないのがつらい。
 これまでもずっと一方通行だった。これまで、私たち家族は一方通行でも流れないよりは流れるほうがいいだろうと思ってきた。でも、その一方通行の進むべき道が破滅でしかないとしたら。そこにもう破滅が見えているとしたら。
 私たちは、覚悟を決めた。それが昨日の対決だった。流れを変えることは、やはり困難だった。でも言わないことより言うことを選んだ。後悔はしていない。
 だけど、疲れた。それが本音だ。
 これからどうなるのかは、分からない。でも、それもこれも私は、もう天に任せようと思う。なるようになる。なるようにしかならない。
 家族3人、なんとか暮らしていくことだけはできるだろう。ここは南国宮古島。一年中食べる野菜はあるし、光熱費だってたいして掛からない。私たちを理解してくれる人はたくさんいる。人とのつながりが救いだ、と実感する。
 


人生への信頼 2004年11月06日(土)

   今週もいろいろある週だった。いま、会社の中がガタガタと動いている。ココロハカイダーマンを頂点とする組織において、これまでもいろいろあったが、いよいよいろんな所のほつれから、膿が出はじめているような感じだ。
 10月に私たち夫婦の生活を揺るがすような大波の余波が、今もさまざまな姿に形を変え、次々と打ち寄せている。
 夕べは、ぜんぜんよく眠れなかった。いま荒れた海の中に私も確かにいる。そして、この海がどう治まるのかさっぱり分からない。不安がないわけではない。でも、私は私の心の中に照らし合わせて、正しいと信じることをするだけだ。それが私の役割だと思う。
 「自分の人生を信頼する」という言葉が今、私の中に浮かんでいる。これは、本田健さんの著書の中に出てくるいわゆる成功者が、若い頃を振り返ったときに、「もっと自分の人生を信頼しておけばよかった」というセリフから覚えているフレーズだ。
 未来は分からない。でも、私は今を一生懸命生きている。私は自分が見えざる何かとつながっていると信じている。だから、必ず私はいい方向に導かれている。どんなことが起きようと、自分の人生は、必ずいい方向に進んでいると信頼していけばいい。
 今はそう思う。
 


庭での発見 2004年11月02日(火)

   宮古島もだいぶ涼しくなってきた。
 最近は、休みの日と朝のほんのわずかな時間や昼休みの10分15分の時間を割いて、庭の大改造に取り掛かっている。これまで植えてあった草花の根引きにはじまり、雑草取り、土おこし。そのほか、いままで芝と花壇の境として埋められていたブロックを取り除き、ちょっとオシャレなレンガを敷く作業を、ここ何週間もかけて、コツコツやっている。
 借家とはいえ、芝生の生えた庭があり、小さいながらも花壇や畑もある。
 ここの家を借りるまでは、ずっと団地やアパートだったので、庭のある生活というのは、本当にいいものだ、と思う。今でも、その気持ちは大きくは変わらないのだが、約一年半ここで暮らしてきて、地面を管理するのが大変だということもかなり分かってきた。
 春から夏にかけては、虫やカタツムリがすごくて、しかも暑さのために、とても日中庭の手入れをする気にはなれない。夕方涼しくなる頃には、蚊がすごくて、これまたとても作業などしていられない。
 最も庭作業をするのにいい季節が今から冬にかけてだ。宮古島に来て9年になるが、庭のある生活をしてとくに南国沖縄にも四季があるのを実感する。
 レンガを敷く作業はあともう少し。何を植えようか、と考えるのも楽しい。
 庭仕事をして四季の変化以外に、実感したことがある。自分が案外コツコツタイプだったということだ。なんだかいい発見をしたようで、これまたうれしい気分だ。
 


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