自分が光に 2004年10月30日(土)

   今週は本当に忙しい、疲れる週だった。通常でも月末で忙しい時なのに、その上、突発的な仕事が入り、家に持ち帰ってまでしなければならない状態が4日間続いた。そういう時に限って、いろいろ考えさせられる出来事も起こり、頭の中はゴチャゴチャでまだ整理がついていない。
 でも、睡眠だけは足りている。夜中まで起きていられず、10時か11時には眠っていた。
 というわけで、こうして落ち着いてパソコンに向かうのも、なんだか久しぶりだ。
 でも、何を書こうか?そうだ、今週、すごく感動した一枚のチラシのことを書こうと思う。
 宮古には以前にも書いたことのある宮古南静園というハンセン病の回復者の方たちが今も暮らす国立療養所がある。昔は「ライ病」と呼ばれ、人々に怖れられ隔離されていたこの病気のことは、本土の他の地域に比べれば、身近なものといえるだろう。 
 そのハンセン病の回復者である藤本としさんという方をモデルにした一人芝居講演のチラシを見る機会があった。
 藤本さんは18歳で発病し、全身が麻痺した上に失明、感覚の残された舌を使って点字を読み、いつも明るく、周囲の人を笑わせる楽しい人だったそうだ。
 藤本さんの言葉がチラシに紹介されていた。
 「闇の中に光を見出すなんていいますけど、光なんてものは、どこかにあるもんじゃありませんねえ。なにがどんなにつらかろうと、それをきっちりひきうけて、こちらから出かけて行かなきゃいけません。光ってものをさがすんじゃない、自分が光になろうとすることなんです。それが闇の中に光を見出すということじゃないでしょうか。」
 そのチラシは沖縄本島の名護市で開催されるものだったので、宮古からは簡単に見に行けそうもないが、私はチラシを見ただけですごく感動してしまった。
 「光ってものをさがすんじゃない、自分が光になろうとすることなんです。」
 その言葉が、私の心に深く深く残った。インターネットで調べたら、その後の言葉も見つけたので、紹介しようと思う。
 「自分のつらさを聞いてもらいたいというより、どんなことでも、他人(ひと)さまのことを聞くという‥‥他人さんのほんとうのつらさを、真実その身になって聞いてさしあげる。これは、ほんとになまいきですけど、ひとつの施しです。」
 何度読んでも一つ一つの言葉が、ズシッ!、ズシッ!と心に入ってきて、ただただ、胸が震えてしまう(小さい胸のなので実際にはふるえませんが。オッと、ここで冗談いうところじゃないな)。 
 うーん、結純子さん演じる『地面の底が抜けたんです』というこの一人芝居を、いつか宮古でも見たいものだ。南静園の人たちと一緒に。 

※このほかにも藤本さんの言葉が紹介されているページがありましたので、興味のある方は、ご覧ください。http://www.edu.waseda.ac.jp/eduhp/
okamura/human03/guide13.html
 


ボヨーン 2004年10月25日(月)

   きょうは、かなり疲れている。休息が必要だ。週末忙しくて休んでいないため、今日の月曜日はとてもきつく感じる。しかも昨日はたくさんの人に会ったため、今日は人にもあまり会いたくない感じだ。
 今私がしたいことは、寝る、お風呂に入る、土いじりをする、読書をする、リフレクソロジーを受ける、こんなところだろうか。
 ほとんどが一人の世界に入ることなのだが、リフレクソロジーだけは、やってくれる人が必要だ。その点、私がたまに行っているところのお姉さんは、何がいいかというと、特に親しいわけでもないのだが、ただいつも変わらぬやさしい笑顔で迎えてくれて、余計なことは聞かず、マッサージに徹してくれるところだ。
 私は多分、サービス精神がやや多めにある方なのだと思う。そういうことは最近になって自覚してきた。会う人を喜ばせたくなってしまう。笑顔にさせたくなってしまう。たとえ自分がサービスを受ける側だとしても、相手を気持ち良くさせようと思ってしまう。
 これは、多分に母親の影響だ。うちの母は酒屋になって商売をするようになってから、その才能が開花した。いや正確には、若い頃も化粧品の小売店に勤めていたというから、結婚して専業主婦になって、その後50近くになってから、父が自営業をするということで、再び花開いたのだ。
 毎日大勢の人が出入りする酒屋になって、母はいつも小さな店内を小走りに走り、お客さんに元気な声をかけていた。店が繁盛したのは、母のそういう元気な姿と、サービスがある意味で過剰な父のふたりのコンビネーションによると思っている。
 そういう両親のところに生まれたので、自分にもサービス精神があるのは、たしかなのだろう。
 母は、店では元気に振舞っていたが、時には家でどっと疲れているときもあった。
 これを書きながら、いろんなことを思い出していた。今日は、自分の性格を自覚した上で、無理をしないでいようと思う。しばらくは、頭も心もボヨーンとしていようと思う。何をするでもなく、ただボヨーンとしていたい気分だ。 
 


子どもは宝 2004年10月20日(水)

   宮古島は台風23号が去り、今朝は風もだいぶ静かになっている。台風が来て大変なのは、庭にある観葉植物や季節の花々の鉢物の取り込みだ。
 今度の作業では、子どもにとって小さなプレゼントがあった。小さなヤモリの卵2つだ。鉢を移動するとき、鉢の底から出てきたのだ。早速子どもは虫かごに入れて、毎時間のように「まだかな〜」と、のぞいている。
 子どもは、いろんな生き物を見つけるたびに、透明なプラスチックでできたその虫かごに、なんでも入れている。自分も子どもの頃、いろんな生き物に興味を持っていたことを思い出す。
 そういう子どもの姿を見ていて思うのは、今私が一番興味があるのは、やっぱり子どもなんだろうなということ。子どもの存在は本当にいとおしいものだ。
 生き物は1+1=2ではなくて、3にも4にもなるということ、自分たち以外の全く新しい生命がこうして生まれ、想像もつかないことを毎日しながら大きくなっていくということ、なんでもないことも、不思議だなという目で見ると、とてもいとおしい。
 まだ赤ちゃんで言葉も分からない頃から、子どもに言い続けていたことがある。「お父さんとお母さんの宝物だよ」という言葉だ。
 今ではさすがに毎日は言わなくなったが、寝るときやいろんなときに言ってあげる。その言葉を言われたときは、いつもうれしそうな笑顔になる。
 夕べ、私はこう付け加えた。「いいなあ、お母さんなんてこんな風に言ってもらったことないかもしれない。お母さんはこういってもらったらうれしいだろうな、という言葉をあなたに言ってるんだよ。大人になって子どもが生まれたら自分が言って欲しいなと思う言葉を、言ってあげてね。そしたら、あなたみたいにきっといい子になるから」。
 すると子どもはこういった。「そうか、そうすれば、その子どももそのまた子どもも、ずーっと、ずーっと、いい子になっていくわけだ」と。
 「そうだよね。そうしたら、世界中の子どもも大人もみんないい子になるわけだね」。
 そんな話をしながら眠りに付くとき、私も子どももとても幸せな気分になる。
 毎日そんないい会話ができるわけではないから、怒っているときの私より、そういうときのことを子どもには覚えておいて欲しいなあ。
 


生命力 2004年10月17日(日)

   グッピーの赤ちゃんが生まれた。先日、転びながらも、子どもと取ってきたグッピーのだ。小さな水槽の中で元気に泳いでいる。
 以前熱帯魚を飼っていたときに、たしかグッピーは一度子どもを産むと、その後受精しなくても子どもを産み続けることができると読んだ覚えがある。それに魚なのに、グッピーは卵で子どもを産まず、お腹から出てくるときには、すでに稚魚となっているのだ。
 生き物は生き残るために、いろんな工夫をしているものだ、と思う。
 最近、庭仕事にも精を出しているのだが、そこでも植物の生命力に感動する。
 以前宮古島でアマリリスを専門に栽培している農家の方から聞いた話なのだが、日本では新しい品種を開発するとき、弱い品種を残して改良していくのに対し、アメリカでは強い品種を残していくのだそうだ。
 そういえば、庭に挿し木して増やした「アメリカンブルー」は、スゴイ繁殖力であまり手入れをしなくても、小さな青い花を長い期間咲かせてくれる。その話を聞いてから、私は名前からしてきっとアメリカからやって来たに違いないと思っている。
 強きを育てるアメリカと弱きをはぐくむ日本。お国柄の違いが、庭の植物の生態系にまで関係していると思うと、不思議な感じだ。
 さて、来年の春に向けて、どんな庭にしようかな。
 


南静園 2004年10月15日(金)

   今日は午後から子供と義母を国立療養所宮古南静園に連れて行った。
 南静園はハンセン病回復者が今も暮らす小さな集落のような医療施設だ。皮膚科の外来があり、ここのところ乾燥が激しくて症状が悪化している子供と、それに連鎖反応するように肌が赤く炎症を起こしているオバー(義母)を診せに行った。
 車で20分くらいかけ、わざわざ時間をかけて南静園に行くことにした。
 宮古では数分で行けるもっと近い市内に、皮膚科の開業医もいるのだが、その開業医は、アトピーの子を持つ母親には評判が悪く、私も一度ケンカをして以来、二度と行きたくないのだ。
 アトピーの子を持つ母親の多くは、ステロイドを使い続けることになんらかの抵抗がある。ステロイドを使い続けることは怖いという情報のせいだけでなく、その薬の強さを実感しているからだ。
 そういう母親に対して、その医師はすごい権幕で怒りだすのだ。「自分が信用できないのか」という感じで。
 久しぶりに南静園に行くと、数ヶ月前に地元紙にも新任の医師として紹介されていた女性の医師がいた。
 看護婦と一緒に、私の話に熱心に耳を傾け、看護婦とともに相づちをうち、話をよく聴いた上で、丁寧に今の子供の肌の状態を説明してくれた。一度互いの言葉が同時に口から出た時は、医師の方がしゃべるのを控え、患者の親である私の話を優先してくれた。
 結局、医師の指示とアドバイスに従い、血液検査もすることにした。ステロイドの塗り薬も処方してもらった。
 数年前に南静園に行ったときは、ちょっと僻地にあることもあり、患者も少なくてすぐに診てもらえた記憶があるのだが、今日は廊下に患者があふれていた。
 患者は自分の話を熱心に聴いてもらえるだけで、自分の抱えている病気が軽くなっていくような気がするものだ。
 医者は話をよく聞いてくれる人に限るなあ。
 


疲れないように生きる 2004年10月13日(水)

   昨日、経営コンサルタントの方に会った。彼は元プロスキーヤーでアメリカ生活29年、アメリカで起きた同時テロ「9.11」がきっかけで仕事が1年間キャンセルになり、日本に帰ってきたという、とても変わった経歴の持ち主だ。
 人との出会いは、私にとって刺激であり感動であり、その人の人生哲学のようなものを知ることが私の愉しみにもなっている。
 彼が言っていた。「スキーがうまくなるには、疲れないように滑ることだ」と。「疲れないように滑れば、転ばない。転ばないように滑れば、疲れない。疲れなければ、楽しい。楽しければいくらでも滑れる。だから、うまくなる。人生も同じだと思います」と。
 その言葉で、私はとても安らかな気持ちになった。「疲れないように生きればいいんだ。無理をしてがんばらなくてもいいんだ。楽していいんだ。楽しんでいいんだ。楽しいことをやっていけばいいんだ。ガミガミ怒って、人にぶつかる必要はないんだ。いつも笑顔で、穏やかに、柳の枝のように、風になびかれながら、人生をスルスルと自分のペースで滑っていけばいいんだ」って。
 かなり、拡大解釈かもしれないが、私にはとてもうれしい言葉だった。人生のある意味で「達人」と私が思う人は、みな笑顔が板についていて、笑顔がベースになっていると思う。
 今、思った。もしかしたらそれは、私の笑顔がいいから、相手も笑顔になるのかな?なんて。
 私もオメデタイ。でも、オメデタイのはいいことだ。
 ただ一人、私は今、自分の一番いい笑顔を向けられない人がいる。そのことで私はまた、ややもすると、自分を責めようとしてしまう。私が笑顔を向けさえすればいいんじゃないか?って。でも、たとえ相手が笑顔になっても、その関係の中で、何度自分が傷ついてきたことか。相手に笑顔を向けることで、どれほど自分が疲れてきたことか。やっぱり今はとても笑顔なんて向けられない。
 けれど、その人がいるから、私はこうしてこのホームページを立ち上げ、自分について、そして人について、こんなにも深く考えている。人生において、無意味なものはないのだと思う。それに気がついただけでも、私は今の自分を許してあげようと思う。
 


グッピーをとりに 2004年10月09日(土)

   今日は仕事も休みで、朝から子どもとグッピーを取りに行った。グッピーといっても、自然界に存在するメダカに近いものだ。こちらではカダヤシ(蚊絶やし:ボーフラを食べるため)ともいい、たぶんグッピーの原種のようなものなんだと思う。オスはそれぞれ違った模様があって、上から見ると分からないのだが、水槽に入れて横から見ると、それなりにきれいで、いちおう熱帯魚なんだということを思い出させてくれる。
 大きな川のない宮古島では、実はグッピーのいる場所は限られている。私と子どもだけで行く秘密の場所に、車で20分くらいかけて出かけた。
 前回来たときにはいなかったオタマジャクシが、今日は黒々と泳いでいた。 
 子どもと二人、まさに童心にかえって小さな網でグッピーをすくい、取れるたびに小さな興奮を味わっていた。まさにそんなときだった、段差のある場所から移動する瞬間、私は高さを勘違いし、久しぶりに派手に転倒してしまった。
 腕と足を少しすりむいた。すりむいた傷よりも、体を地面に打ち付けた衝撃のほうが、ダメージのように感じた。本当に久しぶりのケガだった。子どもは「お母さんも転ぶことがあるんだ」と、とても驚いていた。これまで、何年もケガをしたことなかったんだなあ、と改めて思った。
 マブイ(魂)を落としてこないように、しっかり傍に落ちていた小さな石ころをポケットに入れた。
 あの転倒は、私についていた何か悪いものをきっと落としてくれたのだろう。そうにちがいない。きっと、もっともっといい運がめぐってくるぞ。痛みをこらえ、そんなことを思いながら家に帰った。
 ところで、この拾った石ころは、一体いつまで持っていたらいいんだろうか?
 


カウンセリングを学ぼう会 2004年10月08日(金)

   夕べは、月に2回あるカウンセリングの勉強会だった。カウンセリングを学びたいという共通の目的を持った仲間がいることが、私の心の安らぎと潤いにもなっている。時には、ミニカウンセリングの勉強ということで、カウンセラー役とクライエント役、それに観察者に分かれ、クライエント役は自由に心の内を語ることができるというのもいい。
 昨日は、私がクライエント役になり、5分間自由にしゃべった。それぞれの感想などを含めると、私のためにかなりの時間を使ってもらった。日常生活の中で、誰かが自分の話を聴くことだけに集中してくれる時間というのが、どれほどあるだろうか。
 3分、5分、10分と、時に時間を変えながら、聴き方の練習をするのだが、その数分という時間はホントにあっという間にすぎる。
 カウンセリングというものが、特に悩みが深刻だとか、心の病を持っているとかではなく、もっと一般に気軽に利用できるものになればいいのに、と心から思う。
 


肩こりの原因? 2004年10月05日(火)

   昨日からの肩こりは、私が思っていた通りだった。私たち家族の生活に、また荒波が打ち寄せている。
 体の変調というのは、たいてい精神的なことと連動しているものだ、ということを30数年生きてきて、だいぶ感じるようになってきた。
 荒波というのか、大波というのか、とにかく私たち家族の生活をゆるがす問題がふりかかろうとしているというのに、私はある意味ですっきりした気分だ。その波の正体が見えてきたからかもしれない。いや、もっと言えば、その波自体ではなく、その波が今私たちに襲い掛かろうとしている意味のようなものだ。
 何か事が起きる場合、私は、その問題自体ではなく、その問題がもたらす意味のようなものを考えるようにしている。つまり、天の声とでもいおうか、そういうものを知ろうという気持ちでいると、問題の波に飲み込まれることなく、自分の人生を少し距離を置いて見られるような気がしている。
 今回の波は、ココロハカイダーマンが自分の怒りを直接私たちにぶつけるのではなく、人を介してぶつけてきた波なのだが、今思うと、それで良かったと思う。声を荒げ直接ぶつかってこられるのは、恐怖でもあるし、私自身かなり傷つくし、そういう思いはできるだけしたくないというのが正直な気持ちだ。
 今回、間に冷静な人を立てたのは、ある意味で適切な判断だったように思える。
 今度の波のはっきりした意味や天の声はまだ分からないけれど、明らかに、今の現状から何か小さいにせよ、大きいにせよ、変化をもたらすために起きた波だと思える。
 そしてそれは、私たちにとって大切なものは何なのか、重要なことは何なのか、を改めて教えるための波だと思う。
 不安があまりないのが、自分でも不思議だ。さっき泣いた涙も、もうウソのように乾いてしまったし、私はもう笑顔で人と会うことができる。たんたんと仕事をして、心はまた静かな海に戻っている。
 必ず、良い方向に進む。自分の人生を信頼する。私たちは導かれている、間違いなく光の方向に。
 ずっと「アファメーション」(自分を励ます肯定的な言葉)をトイレに貼っていた効果が、今現れてきているようだ。
 


三年寝太郎 2004年10月04日(月)

   人間は日々、ただの日常の中にもいろんな学ぶべきことがあるものだ、と思う。そしてそれは、何度も繰り返し同じテーマが回ってきたりする。
 昨日の私のテーマは、「他人の生き方に口を出さない」ということだった。他人とは、自分以外の人間という意味だ。このテーマを最も試されるのは、私の場合は「夫」との関係についてかもしれない。
 「他人の生き方に口を出さない」というのは、自分の境界と相手の境界をきちんとわきまえる、ということだと思うのだが、これは結構難しいことなのだ。特に家族の場合。家族や愛する人には、どうしても、「こうなって欲しい」とか「こういう人であって欲しい」とか、自分の思いが付きまとう。そういう自分の思いは、ときどき「愛情」と勘違いしてしまいやすいものだ。
 子育ての難しいところも、「教育」ということと、「こうなって欲しい」という自分の思いが混同しやすいからだと思う。
 「口を出さない」というのは、別の見方をすれば「どうなっても知らない」とも受け取れる。だからつい、「こうしたら…」などと、口を出しちゃうんだよね。
 たとえ、休みの日に一日中、夫が寝て過ごしていても、何も言わない、または何かを強制しない、またはうまく何かに誘うというのは、結構難しいことなのだ。
 そんなとき私は、「三年寝太郎」の昔話を頭に思い浮かべるようにしている。そういう私の頭の中を、家族の誰も知らないだろうが。
 


シンクロニシティ 2004年10月03日(日)

   いま、このホームページにもう一つ内容を増やそうと思って準備しているものがある。立ち上げてから、あれこれもっとこうしようかとか、もっとああしたほうがとか、いろいろな案は出てきたのだが、今一番有力で実現させようと思っているのが、「セルフケアチェック」の項目だ。
 「自分を大切にする」ということは、ココロハカイダーに対抗するためにとても重要なことだと私は思う。だから、そのことをもう少し充実させたいな、と思っていた。
 「そうだ、質問形式のセルフケアチェックにしよう」と、アイディアは浮かんだものの、質問項目の時点でまず、つまづいてしまった。すると、会社の引き出しを何気なく整理しているとき、以前心理のセミナーを受けたときのプリントが出てきた。それが、まさに今の私の課題に対する大ヒントのようなものだった。
 シンクロニシティ(共時性:心に思い浮かぶ想像上のイメージと現実の出来事が一致すること)とは、まさに、このことだ!と思った。
 もっと大げさに言えば、神のお導きとでもいおうか。
 なんだか、たかがホームページだというのに、神のお導きというのもね。でも、内心、本気で「そうかもっ」と思っている私もいる。
 だいたい、このホームページだって、なんでこんなことやり始めちゃったのかな?ってほんの一瞬だけど、思うことはある。お金をかけて、お金にはならないことを、しかも、ウイルス感染のありそうな迷惑メールも増えるし。
 でも、すぐに、やっぱりやってよかった、と思っている自分がいる。なんでだろう?なんでかな?
 ここまできたのは、すべてがそのシンクロニシティの積み重ねだったような気もするし。そういう流れに乗っていると思えるとき、「後悔」という言葉が無縁になるような感じ、というのか。う〜ん、うまく説明できないけど、とにかくやってよかったのだ。
 そしてまた新しいことを考えるのって、ワクワクして愉しいしね。
 


好きな季節 2004年10月02日(土)

   秋は私の一番好きな季節だ。南国の宮古島にいても、それなりに秋はある。近頃は朝7時ごろ目覚めてカーテンを開けると、太陽がまだ近くの林にかくれんぼをしているし、何より風が違う。匂いというのか、肌触りというのか。夏の間、暑すぎて育たなかったインパチェンスも、また花をつけ始めている。
 なぜ秋が好きなのか? ずいぶん前、おそらく高校生の頃感じていたことなのだが、秋のなんとなくもの寂しいところが好きだった。
 春はウキウキする季節でもあるが、変化の時期でなんだか落ち着かない。夏は毛深いので半そでを着るのが憂鬱になるし、みんなが楽しそうに見えて、自分が寂しいときにはその差が大きくなるようで、ちょっとつらい。冬は寒いのは苦手なので、ちょっときつすぎる。私にとっては、秋が一番居心地がいい季節だと思っていた。
 でも、こうして改めて考えてみると、春はいろんな草花が楽しめるし、夏は宮古島の海はとくにきれいで楽しめるし、毛深いのも沖縄の人は女性でも多いからそれほど気にならなくなったし(年をとったせいもあるかも)。冬くらいかな、宮古でもちょっとつらいのは。
 改めてこうして考えてみると、好き嫌いの幅があんまりなくなっているのを感じる。
 年をとるのも、悪くないものだ。
 こんなとりとめもないことを、ゆったりと書いている今日は、心がとても穏やかだ。穏やかはいいもんだな〜。
 

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